20161024

功名が辻/司馬遼太郎

(一)

この利口な婦人は、余計な批評がましいことをいって、娘に無用の先入主を入れるのをさけている。(p.12)

この人物は決して血気にはやるという形ではなかったが、利をつねに遠くへ置いていた。大利を遠くへおき、目の前の不利を考えない。そういう思考法の男である。(p.125)

「退却はならぬ。武田家は、いまだかつて戦わずして敵を避けたことはない。それは卑怯者というものだ」
一騎駆けの武者の美意識で、一国の荒廃をになう大将の物の考え方ではない。(p.234)

侍の綺羅は人である。よき家来、数多くの人をもつことだ。美服ではない。というのが、千代の考え方であった。(p.296)

(二)
―評判をつくるのが武士です。
と千代がいったことがある。評判をつくるためには、つねに死を賭けなければいけない。(p.11)

疲れほど人間を無残にするものはない。光秀はかれの最も重大な時期において、その叡智は枯れ、判断力は鈍り、果断心がなくなり、しかも彼だけでなくその兵は疲労しきっており、火薬さえなかった。(p.33)

これが秀吉のうまさだ。かれの場合、手紙にしろ、会話にしろ、表現が形式ばらず、よろこびを伝えようとするときは、自分の心の躍動をナマに眼に見えるように無邪気に語りきる。(中断)
それに、秀吉のほめ上手は、間をおかぬことだ。即座にほめる。
そこに妙機が生じ、ほめられた者はいよいよ調子づいて次の合戦には一層に働いてしまう。(p.66)

難攻不落といわれた箱根と大阪城は二度の戦歴を持ち、二度とも破れている。
防衛戦の勝ち目のなさが、これでわかるであろう。(p.210)

むかしの評判を、いまさら人の口をきくのは、千代自身にとってうれしいことではない。なにやら、才はじけて抜け目のない女を自分の中に見るようで、いやえあった。(p.275)

(三)
千代は、努めて明るくいった。どうせやらねばならぬことなら、不快そうな顔をするのは、無用なことであろう。(p.34)

うれしい、と千代はおもった。人の世でいくつかの種類を幸福があるかもしれないが、人の客となり、行きとどいて心やさしいもてなしを受けたときの幸福というのは、格別なものであろう。この心のやさしさを芸術化したものが、茶道というものなのである。(p.112)

「しかし知恵ある者は、本来、臆病なものかもしれませぬな」と、千代は、いま一度考えなおしてみた。天下を取ろうと志す者は、一騎駆けの武士の武辺はいらない。(p.210)

どうせ小身なのだ。あわてて左右いずれに走っても、徳川殿も石田殿も、さしてありがたくも思わない。それまでは、あくまで中立の立場を守らせたい。(p.218)

(男はすがすがしきが良し)
と、千代は男の美の基準をそこに置いている。事実、おごれる家康の頭上に会津百万石の主は、かなわぬまでも鉄槌をくらわそうとしている。(p.244)

(なんとこの男は、気はしのきかぬ無愛嬌者だ)
とおもった。あとはどのようになったかわからぬ、などは言わでものことで、
ーはい、ご無事でございました。
と、力強くいえばそれで住むのである。そのあと、できれば、
ーみなみな様のご家族、足軽衆の家の者にいたるまで無事でございます。
と凛々たる大声で言えば、陣中にいる者どもの耳にもさわやかに聞こえ、どれほど士気があがるかわからない。(p.302)

人の心を知りぬいた憎いばかりの芸であった。これを文箱の封印つきのまま家康に差し出す。すると家康は伊右衛門の律儀さ、誠実さ、そして自分に対するそこまでの肩入れに感激するであろう。(p.306)

(四)
経験が多いということも、しょせんは否定的な意見を豊富にいえるというだけのことで、だからどうしようという案を思いつくに至らぬ。とすれば、未熟と五十歩百歩か。(p.101)

賞はできるだけ早いほうがよく、また決まった分からつぎつぎに言い渡してゆくほうが人心に無用の疑念がおこらずにすむ(p.146)

「いただくときはあっさり頂くものです。御律儀も時によってよしあし、うじうじとご遠慮なさるとお人が小さく見えます」(p.148)

ーおれはそれだけの器なのだ。
という自信が出来、ちょっと英雄気どりになりはじめたのである。
(これはこまったことになる)
千代はなかば、恐れをいだいた。男はこうなれば始末におえなくなることを千代は知っている。(p.150)

男に、出世とはこわい。
分不相応の位置につくと、つい思いあがって人変わりする例が多い。(p,172)

男が自分の技能に自信をもったときの美しさというのは格別なものだが、自らの位階に自信をもった場合は、鼻もちならなくなる。(p.174)