20120501

本の記録 / 覇王の家

覇王の家  司馬遼太郎  新潮文庫


270年ほど続いた江戸幕府。
その礎を作った徳川家康についての物語です。

三河の土地柄、人柄がいかに日本史に大きな影響を与えたかという考察。

排他的であったり、保守といったムラ社会など。

日本人の気質や文化が良い点も悪い点も全てではないにせよ、この家康、三河地方の豪族たちが与えたものであり、270年という長い間に作り上げられた江戸文化のそういった思考が自分にも息づいているかと思うと、歴史の奥深さを感じてしまいます。


今まで読んだ司馬遼太郎の歴史小説の中でもっとも、司馬遼太郎の土地や地域文化に対する分析が垣間見える著書、面白い。

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〈上〉


依怙地は家康のもちあじで、ただし我を張るわけでもなかった。欲しいとおもえばむしろ、我を折り、我を見せず、ながい歳月をかけて無理なく奪ってしまうということのようであり、この性格をきれいに言いあらわせば律儀ということにもなった。(p.65)


敵を眼前にみながら堂々無視できるというのは信玄の放胆さをあらわすものであり、目的のために余計な骨折りをしないというのは、戦術としてのきわだった聡明さを証拠だてるものであった。(p.84)


家康という男の驚嘆すべきところは、こういう事件(以下の2人の家来の言質によりわが子である信康を信長の命で殺さざるを得なかったこと)があったのにもかかわらず、酒井忠次と大久保忠世の身分にいささかの傷も入れず、かれらとその家を徳川家の柱石として栄えさせつづけたことであった。(中略)家康という男は、人のあるじというのは自然人格ではなく一個の機関であるとおもっていたのかもしれない。(p.191)


戦は勝頼のような猛攻一点張りでやるべきものでなく、勝頼の父の信玄のごとく無理をできるだけ避けつつ時を待ち、兵威を積みあげてやがては敵を圧倒すべきものであった。(p.207)


たとえ守将がどういおうとも、存亡の危険をおかして救いにくるということで、ひとびとはあるじとして仰ぎうるのである。(中略)自分の家来を見捨ててしまうという、武将としてはもっともなすべからざることをした勝頼は、この城の陥落と落城の惨状が世上に伝わるにつれ、かれに付属している将領たちも、
― むしわれらこそ勝頼様を見捨てるべし。
と離反するに違いない。(p.209-210)

家康がとらえている人間の課題は、人間というのは人間関係で成立している、ということであった。人間関係を人間からとりのぞけば単に内臓と骨格をもった生理的存在であるにすぎないということを、この人質あがりの苦労人はよく知っていた。(中略)家康にとってもっとも大切だったのは人間関係であり、このためにはどういう苦汁も飲みくだすというところがあった。(p.214)


信長も、いま目の前にいる老臣の酒井忠次も、家康にとってはわが子の仇であったが、それを仇であるとおもったときには自分は自滅するということを家康は驚嘆すべき計算力と意志力をもって知っており、片鱗もそう思わないようにしていた。片鱗も ― というのは、片鱗でもそうおもえば、人の心というのは完納して酒井忠次にもひびく。(p.298)


語る本人が昂奮していては、当人の感情が報告に照り反って、冷静な伝聞は聴けないであろう。だから厠へやった。(p.363)


酒井と石川に相談しているだけで、結局は家康は自分の信ずるがままにやるのである。が、重臣たちの考えだけは十分に陳べ(のべ)させておかねば、かれらの心に鬱懐が生ずるのである。(p.369)


〈下〉

人の主というものほど、家臣に対して怨恨や憎悪、偏愛や過褒(かほう)、さらには猜疑を持ちやすいものはなく、古来、それなしで生涯を終えたものはまれであり、家康の身近な人物では織田信長はとくにそうであった。家康は信長のような卓然たる理想をもたず、日本の社会に内をもたらそうという抱負などかけらもない男だが、しかし自己を守るために自己を無私にするという、右(ここでは上)のような部分では信長よりもはるかに異常人であるといえた。(p.11)


二十年ちかい歳月のあいだ、武田の勢力に圧倒され続け、ときに滅亡の危機に瀕しながらもついに屈しなかったという履歴をもっている。さらに三方原の戦いにあっては、移動中の武田軍に対し、百パーセント負けるという計算を持ちながら、しかも挑戦し、惨敗した。この履歴は、家康という男の世間に対する印象を、一層重厚にした。(p.30)


(世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ)
と家康はおもっている。(p.77)


しかし戦術というものはその数式の基礎に誤りがある場合、どういう数字をそれに重ね、実施者にどのような精神要素をあたえても、結局は手傷が深くなるだけのものであるらしい。(p.131)


名乗りをあげるなどは、おのれ一人を誇らんとするもので、手柄はすべて殿に帰すべきものであるとおもえば、無言でいい。(p.155)


秀吉は自分の恐怖心を大切にした。(p.227)


家康の性格は陰気というわけではないにしても決して陽気とはいえなかったが、ただ猜疑ぶかくなかった。といっても、猜疑ぶかくなかった。といっても猜疑する能力がないわけでなく、とくに敵の謀略的なうごきに対してきわめて猜疑心にみちた憶測をする男であったが、ところが家臣に対しては、まるでそこだけが欠落したように猜疑心をみせたことがない。(p.235)

三河衆はなるほど諸国には類のないほどに統一がとれていたが、それだけに閉鎖的であり、外来の風を警戒し、そういう外からのにおいをもつ者に対しては矮小な想像力をはたらかせて裏切り者 ― というよりは魔物 ― といったふうの農村社会のそのものの印象をもった。(p.285)


もしかれが秀吉と再戦せねばならぬことがあってもそれはかれ一個が専断した私戦ではない、彼の家来、というより五カ国のひとびとの創意を執行すべく自分の身を犠牲にするのである、というふうに物事をもってゆき、ひとびとを納得させるのである。ずるいといえばずるいが、ひとの心を結束させるにはこれ以上の方法はないであろう。(p.304)


かれは自分という存在を若いころから抽象化し、自然人と言うよりも法人であるかのように規定し、いかなる場合でも自己を一種放下したかたちで外観を見、判断し、動いてきたし、自分の健康いついてもまるでそれが客観人物であるかのように管理し、あたえるべき指示をかれ自身がかれの体に冷静にあたえてきた。(p.352)


 

20120419

映画の記録 / ディナーラッシュ


ディナーラッシュ  ボブ・ジラルディ


スマートな、素敵な映画でした。
NYトライベッカ、素敵な雰囲気の街のレストランでの一夜+の物語。

99分

この短い時間の間にレストランを舞台にさまざまなドラマが散りばめられています。
面白い。


― 美味しそうな新旧料理

― キッチンとホール 

― 常連客と一見客

― 親子

― 夫婦

― 男と女

― 従業員とスタッフ

― オーナーと従業員

― 上司と部下

― 芸術家と夢見る新人

― 批評家

― マフィア

― イタリア系とアメリカ人


色々な要素がぶつかり合い、終演を迎えていきます。

レストランに限らず、飲食店はすべてを受け入れられる。
舞台になれる。

イタリアのピッツェリアで働かせてもらった時の混雑さをすごく思い出しました。
やはり、飲食業は楽しい。


20120323

本の記録 / 出口治明2

  百年たっても後悔しない仕事のやり方  出口治明  ダイヤモンド社



前回も一度、ブログ(本の記録 / 出口治明)で紹介させていただいたライフネット生命・出口社長の著書です。


出口さんの講演に一度参加したことがあるのですが、その柔らかい人柄と芯の通った考えや(少し関西弁が入った)話し方に直ぐに引きこまれました。


今回の本も出口さんが語りかけてくるような言葉に、どんどんと引き込まれていきました。
自身の仕事に対する姿勢や、社員としての姿勢、対人関係、リーダーの姿勢、多くを学ばせて頂きました。


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仕事をしていくうえで時間の大事さを説いています。以下のように、会議のルールを決めてしまうのはとても有効であると思いました。
私は会議に使用する時間について、原則的に次のように決めています。報告のための会議には30分意思決定のための会議は1時間 (p.15)

また、 「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」について、慣例の部下が上司に対して行う行動について出口さんの考え方が書いてあります。

どうも部下の側に多くのことが要求されているように思います。双方向になっていません。「ほうれんそう」を食べる必要があるのは、部下よりもむしろ上司の側にあると、私はつねづね考えています。 
(中略)部下には部下の立場があって、それは上司から問いかけていったほうが早く理解できると思います。上司と部下という関係は仕事上の上下であってそれだけです。円滑に仕事を進めようと思ったら上から動くほうが良いのです。(p.51)

以下、自分で仕事をしていくうえで改めて重要だと思ったのでメモ。
整合性がとれているとは、きちんと全体像が存在し、それに対して各部分が食違(くいちが)っていないことです。部分にとっての最適の方針を指して、部分最適といいます。けれど、どんなに部分にとって最適な方針であっても、全体の方向に反するのであれば有害でしかありません。また、そのような部分最適を黙認してしまうと、全体方向そのものがあいまいになります。(p.138)

リーダーについても述べています。
(ドイツDGバンク)フラッハ副取締役はリーダーシップの条件として、次の三点を強調しました。
  1. 自分のなすべきことに明解なビジョンを持っていること。 
  2.  そのビジョンをスタッフに論理的に説明し、納得させる説得力をもっていること
  3. そのビジョンの実現に向けて、スタッフ全員のやる気を引き出し、その気分を持続させ、最後まで引っ張っていく統率力を持っていること (p.145)

 考えてみると、生命保険については初めての若いマーケティグ・スタッフたちが、インターネットのお店で一所懸命やっているのを、「応援してやろう」とか「なんかおもしろそうじゃないか」とか、そういう流れが先のご夫婦をはじめ、お客さまの中にあるのではないだろうかと、私は考えました。(中略)私はリーダーシップの四つ目の条件として、お客さまやスタッフの共感性を引き出す力が、不可欠であることにその時に、気づいたわけです。少し変な日本語ですが、共感力と名づけました。(p.147) 

自分が非力であったら誰よりも一所懸命に仕事をしろ、という点でした。(中略)共感力は、リーダーシップの大きな武器となり、実行力を支えます。共感力を呼び寄せるのは、自分の非力を正直に認め、そのうえ懸命に努力を重ねる姿勢であると思います。(p.148)

「経験の浅いパイロットは、異常事態が生じるとあわてて急降下を始めるなど、すぐになんらかの対策を実行し始めます。これはかえって危険です。経験を積んだパイロットは、異常事態の原因に確信が持てるまで何も行動せず、そのまま飛び続けます」(中略)ジェット旅客機におきるほどに、人命にかかわる危険性はなくても、日常の仕事の中でも問題が起きることは、しばしばあります。このような場合に大切なことは、何が起きたのかを出来る限り早く冷静にていねいに分析し、その分析が完全に終了するまでは動かないこと、あわてて予測をたてないこと、だと思います。責任感に裏付けられた強い意志を持って、動かずに状況把握について知恵を絞る。(p.150)

楽しい会社にしたいと思って行動せよ(p.170)

「楽しい会社に~」という最後の一文にこの時期に出会えたことに感謝します。楽しい会社をつくっていきます!


20120314

本の記録 / フィル・ロマーノ


   外食の天才が教える発想の魔術  フィル・ロマーノ  日本経済社出版


5年ほど前に見た本を見なおしてみました。
時間制のタイムカードレコーダーを用いた課金制のレストランシステム、飲食業界のアイデアの出し方など勉強になることが多く紹介されています。


愛される店を作ること。
そのために何をしなければいけばいのか。

まさに、題名にあるような発想を魔術のように柔軟にしていかなければいけません。


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p.12 同じもの、同じやり方、同じ味を、人は望まない。普通とは違うもの、新しいもの、見たことのないものを経験して、胸をときめかせたいと思っている。

p.27 創造性とは問題点を明らかにしたら、それを受け入れるのではなく解決する方法を見つけ出すことなのだ

p.29 私を動かす原動力となっている者は、成功の甘い香りではない。失敗することへの恐怖だ。だが、人とは違う新しいことを使用とするとき、失敗を恐れて思いとどまったことはない

p.46 よい出来事は向こうからやって来てくれるものではないということである。(中略)私は大学時代の仲間十数人やほかの友人にも何人か連絡を取って、「頼みがある。《ホリデーマガジン》の職部門担当の編集者に手紙を書いてくれないか。〈ロマーノズ300〉のことをほめて欲しいんだ」

p.47 少々強引な売り方をしても、それを支えるコンセプトがしっかりしていれば、決して損にはならない。

p.83 私が欲しいのは、意欲と情熱を持って仕事に取り組み、創意工夫を忘れない人材だ。私はその人がどんな生き方をしてきたかを見る。たとえば、きちんと学校に行き、一生懸命に勉強してきたかも一つの要素だ。家族を大事にしているか、また自分自身を大事にしているかも見極める。往々にしてその人の外見が多くを物語る。自己管理ができるかどうかがわかるからだ。自分のことを気にかけない人間が、他のことをどうやって気にかけられるだろう。ましてや、私のレストランを大切にしてくれるわけがない。

p.85 もっと美味しくしようと肉を一オンス(約30グラム)増やしたが、いきなり値段を引き上げたりしなかった。マクドナルドのクォーターパウンダーの値上げは裏切り行為だと肝に銘じていたからである。

p.125 レストランが成功する要素はなんだろうか。立地、立地、立地ではない。料理、料理、料理である。

p.153 成功の秘訣は、うまくいくアイデアと行かないアイデアを見極めることだけではない。そのアイデアがどれだけ幅広い顧客層に訴えるかを理解することも重要である。


20120214

映画の記録 / 四つのいのち


四つのいのち   監督:ミケランジェロ・フランマルティーノ  


イタリア・カラブリア州、とある農村の映画。


おじいさん、動物、木、炭(エネルギー)。
人間を含めた、生命の循環を四つの象徴でえがいた物語。

公式サイト:http://www.zaziefilms.com/4inochi/



ため息、生活音、動物の鳴き声、鈴の音、心臓音。隊列。かすかに聞こえる会話の喧騒。
会話がないかわりに、音が溢れ、ゆったりと断片的に時間が流れていきます。

事件もなく、起承転結もありませんが、その農村に根付く日常が淡々と収められています。


テーマについても素晴らしいのですが、カメラワークや風景の綺麗さに心奪われてしまいます。あ、あと、番犬の番犬ぶりや、ヤギの可愛さにも。

カラブリア、プーリア。
イタリアの「かかと」や「つまさき」部分。
工業化もせず、観光化もせず。
まだまだこんな風景が多く残っているんだろうな。

何度も言いますが、イタリアに無性に行きたいです。


20120209

映画の記録 / リストランテの夜


リストランテの夜  監督:スタンレー・トゥッチ.キャンベル・スコット


感動的な心温まる映画でした!
最近入院中だったヨメのリクエストでレストラン関係やイタリア関係の映画を多く見ていました。

その中でも、ベストといっていい映画です。


舞台はアメリカ。
イタリア移民の兄弟が経営する売り上げに伸び悩むレストラン。

職人気質で頑固なシェフの兄と、
アメリカでチャンスをつかみたい経営者兼サービスの弟が主人公です。


感情顕にする部分、議論好きな部分、ファミリーを大切にする部分、そしてイタリア伝統料理、随所にイタリアらしさが滲み出ており、イタリア好きにはたまりません。


温かさ、家族愛、そんなことを教えてもらった映画だったと思います。
またどのレストランでも問題になる、職人と経営者のやりとりも共感してしまいます。


伝統料理が前菜、プリモ、セコンドと順に出てくる映像を見ると、ガツンとしたイタリアンを無性に食べたくなります。


色々と賞もとっているんですね。

20120129

本の記録 / 絶対ブレない「軸」のつくり方



絶対ブレない「軸」のつくり方  南壮一郎  ダイヤモンド社


尊敬する経営者の方から、今起業準備中に読む本として教えて頂きました。

著者は外資系金融に勤務中から、スポーツビジネスへの憧れを捨てず、メジャーリーグの球団すべてに手紙を送ったり、飛び込みでスポーツエージェントへ行くなどの行動を起こしました。

それでも結果は実らず、退路を絶って会社をやめてフットサルコートの管理人なども経験していました。

悩みながらも、それまでの経験や出会いなどもあり、楽天球団設立時に三木谷社長に直接プレゼンをし、創業メンバーに抜擢されたのです!


この本により、「行動を起こすこと」の大切さを改めて感じました。

例えば尊敬する経営者の方に会うために連絡をすること、手紙を書くこと。
何も返答などなければ確かに落ち込むこともあるけれども、リスクはゼロ。
やるべきです(自戒も込めて)。

背中を強く押してくれる本でした。

===


 コネや経験を持っていなくてもコンタクトを取ることはできる、人とつながっていくことはできるんだ、と実感することもできたのだ。(p.26)  


 ここで尻尾を巻いて帰っても、得るものは何も無い。でも、待つことで損をすることも何もないのだから、これはもう空気を読まず受付で居座り続けるしかない。(p.37)


 エージェントに会う際に意識していたのは、自分の印象を相手にいかに残すかということ。何かがあったときに、「こいつに連絡しよう」と思わせなければならない。そのために必要なのが、自分に「キーワード」をつけること。額に、「私は何屋さん」という看板を掲げるのだ。(p.45)


 だから恩返しもいらない。ただし、1つだけ君にお願いがある。いつか君のもとに、当時の君のような若者が会いたいといってきたら、時間が許す限り、ぜひその若者に君と話すチャンスを与えてあげてくれ。(p.74)


 優先順位を決めるためにの究極の方法は、「捨てるものは捨てる」と決めること。新しいことを始めるならば、最初から100点満点を狙う必要はない。
 まずは70点を目指すのだ。(p.86)


 「自分で最初のアクションを起こす前に人に頼ってはいけない」(p.94)


 自分を変えるための一番の方法は、「自分がなりたいと思える人」の近くにいること。(p.111)


 もし心に秘めた夢があるのなら、口に出して語るべきだと思う。なぜなら、「夢を語って迷惑をする人はいない」から。もっと表にだせば、共感してくれる人も現れ、夢の実現度はぐっと上昇するだろう。(p.128)


そのキャッチコピーは「5秒」で言えるか?(p.144)


なお、相談してアドバイスをもらった後で大切なのは、相談相手にアドバイスを受けて行動した結果を定期的に報告するということ。頻繁に連絡をとる必要はないが、恩をしっかりと受け取り、感謝の気持ちをお伝えするために報告という形で返すこと。(p.180)


amazonの評価も高い

20120128

本の記録 / 宮本武蔵


宮本武蔵  司馬遼太郎  朝日文庫


司馬遼太郎、宮本武蔵も書いてたんですね。
やはり「バガボンド」の武蔵と比較しながら読んでしまいます。

宮本武蔵(wikipedia参照)


一風堂の河原成美氏も「一風堂 五輪書」においていくつか宮本武蔵の名言もあげています。

私のメモにも残っていました。
(3)の行を持って鍛と為し 万日(30)の業をもって鍛と為す

剣術だけでなく、書や絵画にも偉大な作品を残している武蔵の言葉は力強い。


===


この当時の武者は意識して自分自身の伝説をつくろうとした。伝説はこういう奇行の砕片があつまってできあがるものであり、伝説がその武者を装飾し、ついにはそのものを栄達させてゆく。(p.28)


他のすべての兵法は人間能力の練磨、研ぎすましを目標としているとすれば、武蔵のそれは人
間の能力を改造しようとしていた。(p.35)


ともあれ、この時期の武蔵はちがう。彼は我が剣技を試さねばならず、剣名をあげねばならず、そのためには生死を賭けるべきであった。どの世界のどの分野の術者も、そういう時期があるのではないか。(p.43)


「小櫛(おぐし)のをしへ(教え)のこと」
というくだりがある。小櫛とは櫛のことである。「わが心に櫛をもて」と武蔵はいう。櫛をもって髪をすく。敵を知る場合もそうである。すく場合、毛の結ばれたあたりがすきにくにが、それをなんとかといてゆかねばならない、という。敵について不明の部分を残すなということであろう。(p.56)


試合は、おのれの実力よりも低く評価した相手とせねばならない。武蔵のころの牢人兵法者はすべてそうであり、兵法感覚の初動は相手へのねぶみであり、もし値踏んでなおかつ負けたときは自分の評価力不足と言えるであろう。(p.95)


他の家臣ならば愛情を持って考えてやらねばならないが、技術者は技術のみで世に立っている。技術が劣れば落命するのは当然であり、そこまで情を持って考えてやる必要はない、という意味であろう。
「小次郎も、そういうなさけを予がもてば、むしろ予に対して喜ぶまい」
と、忠興はいった。(p.157)


試合前に敵の姿は一度は見ておくべきである。そう思い、武蔵は山道をのぼっている。が、秘太刀を伝授する場所まで武蔵は見るつもりはない。その興もない。必要もない。更には他人の秘密を鼠賊(そぞく)のように偸(ぬす)み窺うことになり、武蔵にははばかる心があった。(p.164)


「身は気儘(きまま)にしておかねばならない」
と武蔵は言った。(中略)
人の目は好奇心だけのことである。武蔵の心境やいかに、いかなる準備をなすか、兵器(えもの)はどのような、というようなkとおを小うるさく観察しようとするであろう。それに対する神経のつかいかたで徒労してしまうが、そのうえそれが敵方にもれてしまってはどうにもならない。身を気儘にしておくというのはそういうことである。(p.175)


― 見切って撃つ
この見切りの兵法修行こそ眼目である、と武蔵はいうのである。
その間合いは一寸が理想である、と武蔵はいう。敵の太刀先から一寸を残す。「一寸あり」と見んぬく。(p.196)


「一つの技法、一つの道理を自分こそ見出しいたりとおもっておどろきかつよろこぶが、よくよく考えてみるとそれらについては先人がすでに道破している」(p.210)


  

20120107

映画の記録 / ジョニーは戦場へ行った

「ジョニーは戦場へ行った、僕はどこへ行くんだろう」



この歌詞がでてくるブルーハーツの「ラインを越えて」の曲を聞いた中1の時。
15年ほどの時を経てようやく見ることができました。


第一次世界大戦に参加した一人の青年の話。


戦争映画というのはいままで多数見てきました。

戦闘や爆撃シーンの迫力に見入ってしまい身動きができないほどリアルな「西部戦線に異常なし」や「シン・レッド・ライン」、「フルメタル・ジャケット」。


戦争シーンは殆ど無いものの友情や心の病を通じて反戦を描いた私のイチオシ「バーディー」。
やはり忘れてはいけない傑作「シンドラーのリスト」。


他にもお金がかかてるな、「プラトーン」や「地獄の黙示録」などなど。



いずれにも共通するのは反戦。
2012年早速アメリカがイランに対する態度が報道されていましたが、戦争映画を観るたびに戦争とは果たしてなんなのかと考えさせられます。


今回の映画も「バーディー」のようにほとんど、残酷な戦争シーンは出て来ません。
爆撃で四肢はおろか顔や器官をもを奪われた主人公の回顧シーン、夢や心の叫びが流れます。

詳しい内容については書きませんが、ジョニーの叫びを、最後の叫びを聞くたびに胸が締め付けられます。反戦の気持ちを持ち、生きていられることの意味を考えなければいけません。


ジョニーは戦場へ行きました。そして(フィクションではありますが)皮肉にも行くことで題材となりました
不自由なく生きていられることの幸せを享受し、自分の行くべき道で早く行動を起こそうと思います。




20120102

本の記録 / 「事務ミス」をなめるな



「事務ミス」をナメるな!  中田亨  光文社新書


思い出してみると、幸いなことに個人情報に関わることや、会社の存続を揺るがすような致命的なミスをしたことないのですが、コピーミスや印刷ミス、請求書などの発行ミスなどを何度かしてきました。
ミスをするたびに、自分に対して腹立たしくなります。

今回する著書は、なぜヒトはミスをするのかという心理学上のメカニズムを哲学や例題を出して説明していたり、銀行の合札などミスを防ぐために生活の中で工夫されたシステムがいくつも紹介されています。

また、仕事の手順や書式のレイアウトなどいい例、悪い例を挙げて紹介されており、事務のみでなく、思考の整理法などの参考になります。


飲食業でも、産地偽装や衛生管理などがここ数年起きており、システムをつくることで防げることが多々あります。
しっかりと気をつけようと思います。


===

 悪意の無い事務ミスでも、悪意の無いことの証明は難しく、痛くもない腹を探られることになります。(p.65)

 解決策は、しばしば隠れていた別の問題を引き起こすものです。解決策はワースト1だけを解決しがちであり、それによって隠れいてたワースト2の問題が一位に繰り上がることがあるからです。 (p.75) 

6つの対策の型 発想 抜本度・根治性 コスト
手順改良型 現状の補修
道具改良型
やり直し可能型 被害の管理
致命傷回避型
しなくて済む型 抜本的対策
問題を逆手に取る型
〈資料5-2 6つの対策の抜本度〉(p.89)
 ミスの対策を考える人は、必ず現場に足を運ばなければいけません。現場に行き、現物を見て、現実を知ることが肝心なのです。これを「三現主義」といいます。(p.189)

 報告を上げやすくする要件(p.195)
  • 手間がかからずにほうこくできること
  •  ミス報告に罪悪感や不利益感を感じさせないこと 
  • 報告内容が要点を押さえていること 
  •  報告数が多く、報告し忘れがないこと 
  •  報告の集計と分析が簡単なこと

 教育工学のケラーの「ARCs理論」によれば、次の4つの「ない」が通達を無力化するのです。
  • 「つまらない」・・・・・・・文字だらけで堅い言葉の通達を渡されても、興味が起こらない。 
  •  「自分に関係が無い」・・・・・・自分の仕事においてどう使うのか不明である通達は慎重に読む気が起こらない 
  •  「自信がない」・・・・・・難しくて守れそうにない通達には、やる気が起きない。 
  •  「できてもうれしく無い」・・・・・・やっても達成感が得られない通達は、やりがいがない。

  作業の規則や手順を書き表す場合、「手順主義」と「概念主義」の二つの方式があります。手順主義は手順その1、手順その2・・・と順を追って作業を説明するものです。 非常に読みやすいので、マニュアルはこの方式で書くべきです。(p.203)

文庫本でページ数も少ないですが、読み応えのある著書でした。