手堀り日本史 司馬遼太郎 集英社文庫
司馬遼太郎氏は私の大学の偉大な先輩です。にもかかわらず大学当時は残念ながらそれほど関心がありませんでした。
きっと、大学時代にもっと興味を持っていたら或いは違う人生になっていたかもしれません。
きっと図書館にたくさん資料もあったことでしょう。ちくしょう。
ものの考え方、言葉の息づかい、言語や風習から歴史を感じ、文章を完成していくそのプロセスは生活においてすごく勉強になりますし、その物語の登場人物の司馬氏からみた物の考え方は「リーダーとは」と参考になることが多々あります。
死ぬまでに、すべての著書を読もうと思っています。
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p.35 (加藤)嘉明は、「オレは英雄豪傑を家来にほしくはない。彼らは名や利を欲し、戦場でスタンドプレーばかりして、人にめだとうとするが、実際にはあまり役にはたたない。むしろ律儀者で軍隊を編成したい。すると、一旦上から出た命令を勝手に解釈して進退するようなことがない。ここを退くなと命ずれば必ず退かない。進めといえばどんな困難なときでも進む。勇敢なものよりも律義者でできた軍隊が強いのだ」
p.94 信長も頑固のように見えて、非常に柔軟です。信長に非常に感心することがあります。彼は桶狭間でいちかばちかのバクチをしますね。しかし彼は、その障害のうちに、こんなバクチは二度と打とうとしない。こんなものは百に一つぐらいしかあたるものではない。そのことを彼はよく知っていたのでしょう。(中略)普通の人間だったら、オレはやったぞ、生涯の語り草にして、「あれを見習え、諸君!」とか何とか言うことになるでしょう。しかし、かれはついに、自分自身の成功を見習わなかった。
p.100 一番手ではなく二番手として出てきて、先人の構想にしたがって、何かを作り上げてゆく。どうも颯爽とはしませんが、大体颯爽とした連中は騒動家ですから騒動時代には生き生きとした姿を見せますが、建設期に入ると、博文のような処理家が現れる。物事の処理というのは歯切れの悪い思考が必要なのです。
p.102 彼(坂本竜馬)は長崎という特殊な地理的・経済的位置を発想点にして、そこから幕末の正常を観望し、その錯綜しきった情勢を鎮める方法をつぎつぎに考えついてゆくわけですが、そういうかれの着想は他の人から見れば、確かに奇想天外のようにも見えた、しかし、その野望と長崎という性格、位置を含めた発想点に身を置いてゆくと、あるいは私たちでもそういうような着想は得られたかもしれない。(中略)先の見える人間が、その構想を打ち樹ててゆくについて、格別な場を見つけてそこに立つ、というのは大切なことですね。
p.129 処理家には敵がいない。処理するだけでビジョンがないから、敵対関係が生じない。
p.137 日本人はどうも、社会を壊してしまうことはいけないことだ、とおもっているようなのです。そして社会が壊れたら、すぐ新しい社会をくみ上げていきましょう、というところがある。新しい社会ができると、立場立場で非常に不満ではあるけれども、作ることに正義を感じて妥協してしまう。
p.167 私は、思想というのはありがたいものではなく(中略)土木機械にすぎないものだ、と思い始めているんです。思想の奴隷になっていては、どうしようもない。思想とは、自分たちの支配すべき土木機械だ、と開き直ったわけです。
p.211 いろいろなことをやっていくその過程で、町人の素姓でありながら大勢の手下が着いてくるっと言う事実や、内部統制をやるためにおこなう戦争でも彼の舞台が非常に強いというようなこと、これは部下たちにおしたてられる道三の魅力をよく示しているとおもうんです。魅力がなければおしたててもらえないでしょう。
手掘り日本史 (集英社文庫) | ||||
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