20120129
本の記録 / 絶対ブレない「軸」のつくり方
絶対ブレない「軸」のつくり方 南壮一郎 ダイヤモンド社
尊敬する経営者の方から、今起業準備中に読む本として教えて頂きました。
著者は外資系金融に勤務中から、スポーツビジネスへの憧れを捨てず、メジャーリーグの球団すべてに手紙を送ったり、飛び込みでスポーツエージェントへ行くなどの行動を起こしました。
それでも結果は実らず、退路を絶って会社をやめてフットサルコートの管理人なども経験していました。
悩みながらも、それまでの経験や出会いなどもあり、楽天球団設立時に三木谷社長に直接プレゼンをし、創業メンバーに抜擢されたのです!
この本により、「行動を起こすこと」の大切さを改めて感じました。
例えば尊敬する経営者の方に会うために連絡をすること、手紙を書くこと。
何も返答などなければ確かに落ち込むこともあるけれども、リスクはゼロ。
やるべきです(自戒も込めて)。
背中を強く押してくれる本でした。
===
コネや経験を持っていなくてもコンタクトを取ることはできる、人とつながっていくことはできるんだ、と実感することもできたのだ。(p.26)
ここで尻尾を巻いて帰っても、得るものは何も無い。でも、待つことで損をすることも何もないのだから、これはもう空気を読まず受付で居座り続けるしかない。(p.37)
エージェントに会う際に意識していたのは、自分の印象を相手にいかに残すかということ。何かがあったときに、「こいつに連絡しよう」と思わせなければならない。そのために必要なのが、自分に「キーワード」をつけること。額に、「私は何屋さん」という看板を掲げるのだ。(p.45)
だから恩返しもいらない。ただし、1つだけ君にお願いがある。いつか君のもとに、当時の君のような若者が会いたいといってきたら、時間が許す限り、ぜひその若者に君と話すチャンスを与えてあげてくれ。(p.74)
優先順位を決めるためにの究極の方法は、「捨てるものは捨てる」と決めること。新しいことを始めるならば、最初から100点満点を狙う必要はない。
まずは70点を目指すのだ。(p.86)
「自分で最初のアクションを起こす前に人に頼ってはいけない」(p.94)
自分を変えるための一番の方法は、「自分がなりたいと思える人」の近くにいること。(p.111)
もし心に秘めた夢があるのなら、口に出して語るべきだと思う。なぜなら、「夢を語って迷惑をする人はいない」から。もっと表にだせば、共感してくれる人も現れ、夢の実現度はぐっと上昇するだろう。(p.128)
そのキャッチコピーは「5秒」で言えるか?(p.144)
なお、相談してアドバイスをもらった後で大切なのは、相談相手にアドバイスを受けて行動した結果を定期的に報告するということ。頻繁に連絡をとる必要はないが、恩をしっかりと受け取り、感謝の気持ちをお伝えするために報告という形で返すこと。(p.180)
amazonの評価も高い
20120128
本の記録 / 宮本武蔵
司馬遼太郎、宮本武蔵も書いてたんですね。
やはり「バガボンド」の武蔵と比較しながら読んでしまいます。
![]() |
| 宮本武蔵(wikipedia参照) |
一風堂の河原成美氏も「一風堂 五輪書」においていくつか宮本武蔵の名言もあげています。
私のメモにも残っていました。
千(3年)の行を持って鍛と為し 万日(30年)の業をもって鍛と為す
剣術だけでなく、書や絵画にも偉大な作品を残している武蔵の言葉は力強い。
===
この当時の武者は意識して自分自身の伝説をつくろうとした。伝説はこういう奇行の砕片があつまってできあがるものであり、伝説がその武者を装飾し、ついにはそのものを栄達させてゆく。(p.28)
他のすべての兵法は人間能力の練磨、研ぎすましを目標としているとすれば、武蔵のそれは人
間の能力を改造しようとしていた。(p.35)
ともあれ、この時期の武蔵はちがう。彼は我が剣技を試さねばならず、剣名をあげねばならず、そのためには生死を賭けるべきであった。どの世界のどの分野の術者も、そういう時期があるのではないか。(p.43)
「小櫛(おぐし)のをしへ(教え)のこと」
というくだりがある。小櫛とは櫛のことである。「わが心に櫛をもて」と武蔵はいう。櫛をもって髪をすく。敵を知る場合もそうである。すく場合、毛の結ばれたあたりがすきにくにが、それをなんとかといてゆかねばならない、という。敵について不明の部分を残すなということであろう。(p.56)
試合は、おのれの実力よりも低く評価した相手とせねばならない。武蔵のころの牢人兵法者はすべてそうであり、兵法感覚の初動は相手へのねぶみであり、もし値踏んでなおかつ負けたときは自分の評価力不足と言えるであろう。(p.95)
他の家臣ならば愛情を持って考えてやらねばならないが、技術者は技術のみで世に立っている。技術が劣れば落命するのは当然であり、そこまで情を持って考えてやる必要はない、という意味であろう。
「小次郎も、そういうなさけを予がもてば、むしろ予に対して喜ぶまい」
と、忠興はいった。(p.157)
試合前に敵の姿は一度は見ておくべきである。そう思い、武蔵は山道をのぼっている。が、秘太刀を伝授する場所まで武蔵は見るつもりはない。その興もない。必要もない。更には他人の秘密を鼠賊(そぞく)のように偸(ぬす)み窺うことになり、武蔵にははばかる心があった。(p.164)
「身は気儘(きまま)にしておかねばならない」
と武蔵は言った。(中略)
人の目は好奇心だけのことである。武蔵の心境やいかに、いかなる準備をなすか、兵器(えもの)はどのような、というようなkとおを小うるさく観察しようとするであろう。それに対する神経のつかいかたで徒労してしまうが、そのうえそれが敵方にもれてしまってはどうにもならない。身を気儘にしておくというのはそういうことである。(p.175)
― 見切って撃つ
この見切りの兵法修行こそ眼目である、と武蔵はいうのである。
その間合いは一寸が理想である、と武蔵はいう。敵の太刀先から一寸を残す。「一寸あり」と見んぬく。(p.196)
「一つの技法、一つの道理を自分こそ見出しいたりとおもっておどろきかつよろこぶが、よくよく考えてみるとそれらについては先人がすでに道破している」(p.210)
20120107
映画の記録 / ジョニーは戦場へ行った
「ジョニーは戦場へ行った、僕はどこへ行くんだろう」
この歌詞がでてくるブルーハーツの「ラインを越えて」の曲を聞いた中1の時。
15年ほどの時を経てようやく見ることができました。
第一次世界大戦に参加した一人の青年の話。
戦争映画というのはいままで多数見てきました。
戦闘や爆撃シーンの迫力に見入ってしまい身動きができないほどリアルな「西部戦線に異常なし」や「シン・レッド・ライン」、「フルメタル・ジャケット」。
戦争シーンは殆ど無いものの友情や心の病を通じて反戦を描いた私のイチオシ「バーディー」。
やはり忘れてはいけない傑作「シンドラーのリスト」。
他にもお金がかかてるな、「プラトーン」や「地獄の黙示録」などなど。
いずれにも共通するのは反戦。
2012年早速アメリカがイランに対する態度が報道されていましたが、戦争映画を観るたびに戦争とは果たしてなんなのかと考えさせられます。
今回の映画も「バーディー」のようにほとんど、残酷な戦争シーンは出て来ません。
爆撃で四肢はおろか顔や器官をもを奪われた主人公の回顧シーン、夢や心の叫びが流れます。
詳しい内容については書きませんが、ジョニーの叫びを、最後の叫びを聞くたびに胸が締め付けられます。反戦の気持ちを持ち、生きていられることの意味を考えなければいけません。
ジョニーは戦場へ行きました。そして(フィクションではありますが)皮肉にも行くことで題材となりました。
不自由なく生きていられることの幸せを享受し、自分の行くべき道で早く行動を起こそうと思います。
この歌詞がでてくるブルーハーツの「ラインを越えて」の曲を聞いた中1の時。
15年ほどの時を経てようやく見ることができました。
第一次世界大戦に参加した一人の青年の話。
戦争映画というのはいままで多数見てきました。
戦闘や爆撃シーンの迫力に見入ってしまい身動きができないほどリアルな「西部戦線に異常なし」や「シン・レッド・ライン」、「フルメタル・ジャケット」。
戦争シーンは殆ど無いものの友情や心の病を通じて反戦を描いた私のイチオシ「バーディー」。
やはり忘れてはいけない傑作「シンドラーのリスト」。
他にもお金がかかてるな、「プラトーン」や「地獄の黙示録」などなど。
いずれにも共通するのは反戦。
2012年早速アメリカがイランに対する態度が報道されていましたが、戦争映画を観るたびに戦争とは果たしてなんなのかと考えさせられます。
今回の映画も「バーディー」のようにほとんど、残酷な戦争シーンは出て来ません。
爆撃で四肢はおろか顔や器官をもを奪われた主人公の回顧シーン、夢や心の叫びが流れます。
詳しい内容については書きませんが、ジョニーの叫びを、最後の叫びを聞くたびに胸が締め付けられます。反戦の気持ちを持ち、生きていられることの意味を考えなければいけません。
ジョニーは戦場へ行きました。そして(フィクションではありますが)皮肉にも行くことで題材となりました。
不自由なく生きていられることの幸せを享受し、自分の行くべき道で早く行動を起こそうと思います。
20120102
本の記録 / 「事務ミス」をなめるな
「事務ミス」をナメるな! 中田亨 光文社新書
思い出してみると、幸いなことに個人情報に関わることや、会社の存続を揺るがすような致命的なミスをしたことないのですが、コピーミスや印刷ミス、請求書などの発行ミスなどを何度かしてきました。
ミスをするたびに、自分に対して腹立たしくなります。
今回する著書は、なぜヒトはミスをするのかという心理学上のメカニズムを哲学や例題を出して説明していたり、銀行の合札などミスを防ぐために生活の中で工夫されたシステムがいくつも紹介されています。
また、仕事の手順や書式のレイアウトなどいい例、悪い例を挙げて紹介されており、事務のみでなく、思考の整理法などの参考になります。
飲食業でも、産地偽装や衛生管理などがここ数年起きており、システムをつくることで防げることが多々あります。
しっかりと気をつけようと思います。
===
悪意の無い事務ミスでも、悪意の無いことの証明は難しく、痛くもない腹を探られることになります。(p.65)
解決策は、しばしば隠れていた別の問題を引き起こすものです。解決策はワースト1だけを解決しがちであり、それによって隠れいてたワースト2の問題が一位に繰り上がることがあるからです。 (p.75)
6つの対策の型 発想 抜本度・根治性 コスト ② 手順改良型 現状の補修 小 小 ③ 道具改良型 ④ やり直し可能型 被害の管理 中 中 ⑤ 致命傷回避型 ① しなくて済む型 抜本的対策 大 大 ⑥ 問題を逆手に取る型 〈資料5-2 6つの対策の抜本度〉(p.89)
ミスの対策を考える人は、必ず現場に足を運ばなければいけません。現場に行き、現物を見て、現実を知ることが肝心なのです。これを「三現主義」といいます。(p.189)
報告を上げやすくする要件(p.195)
- 手間がかからずにほうこくできること
- ミス報告に罪悪感や不利益感を感じさせないこと
- 報告内容が要点を押さえていること
- 報告数が多く、報告し忘れがないこと
- 報告の集計と分析が簡単なこと
教育工学のケラーの「ARCs理論」によれば、次の4つの「ない」が通達を無力化するのです。
- 「つまらない」・・・・・・・文字だらけで堅い言葉の通達を渡されても、興味が起こらない。
- 「自分に関係が無い」・・・・・・自分の仕事においてどう使うのか不明である通達は慎重に読む気が起こらない
- 「自信がない」・・・・・・難しくて守れそうにない通達には、やる気が起きない。
- 「できてもうれしく無い」・・・・・・やっても達成感が得られない通達は、やりがいがない。
作業の規則や手順を書き表す場合、「手順主義」と「概念主義」の二つの方式があります。手順主義は手順その1、手順その2・・・と順を追って作業を説明するものです。 非常に読みやすいので、マニュアルはこの方式で書くべきです。(p.203)
文庫本でページ数も少ないですが、読み応えのある著書でした。
20111219
本の記録 / 地球の論点
地球の論点 Whole Earth Discipline スチュアート・ブランド 英治出版
この本はスティーブ・ジョブスがなくなった際、本屋の追悼コーナーにて手にしました。
表紙にはこう書いてあります。
若き日のスティーブ・ジョブスを熱狂させた伝説の雑誌
ホール・アース・カタログ 発行人が描く地球の「グランドデザイン」。
― Stay hungry, Stay foolish.
スティーブ・ジョブスが大学のスピーチで締めくくったこの有名な言葉は、彼の若い頃に熱中して読んだと言われるWhole Earth Catalogという雑誌からの引用でした。
その雑誌はヒッピー文化の西海岸にて最新の本・道具・技術などを紹介し、考えるきっかけやツールとして「若者自立支援のブックガイド」の役割を果たしていたといいます。
また、その姿勢は先進科学を否定せず、受け入れ、それによって自分のライフスタイルを選びデザインするという雑誌だったともいいます。
Whole Earth Catalog (HP)
そのスチュアート・ブランドが地球について論じた著書。
色々な意味で衝撃を受けました。そして、SPBSにて11月から開かれた3回の講座にて感銘を受けたのでここに残しておきます。
序章にはアメリカ官房長官から要請され2003年に描かれた気候変動のシナリオが書かれています。衝撃ですが、まずは引用します。
現在も地球温暖化によって北極の氷が解け、北大西洋では真水が増えている。GBNの予測によると、たとえば2010年には、8200年前の状況と同じく、突然「軽度」の寒冷状況が生まれる。気温や湿度が急激に下がり、風が強まり、主要な農業地域で干ばつが起こる。厳冬になり、思いがけない地域で強烈な嵐や洪水に見舞われる。私たちの予測によると、ヨーロッパの気候は2020年までにシベリアなみに近づく気配だ。
地球全体の食料、飲料水、エネルギーの供給量が心もとなくなる。地球の環境収容力は、2020年時点における推定人口75億人を維持できなくなる。環境収容力が限界に達した際には、過去100万年の教訓にあるように、資源をめぐる争いが再燃する。2020年の時点では、戦争、疾病、飢餓のために人口は減少し、その時点における環境収容力に見合ったところで落ち着く。
2010年の突然の変化は幸い起こりませんでしたが、異常気象と呼ばれる現象がこの何年か世界中で頻繁に起きているのは周知の事実ではないでしょうか。洪水、酷暑、熱風、干ばつ、ハリケーンやゲリラ豪雨。
また徐々に温暖化が進むのではなく、温暖化が進むと、メタンガス、氷、海流など様々な要因が重なり急激に、そして突然の変化、低温化が起きるとも書いてあります。
講義の中であった話ですが、地球が誕生した46億年前の地球を460mとすると人類(ホモサピエンス)が誕生して現在までわずか2cm。
母なるガイアにとって人間の存在はすごく小さなものです。
その人間が、46億年かけてつくりだしたその自然エネルギーを大量に消費し、地球の温暖化を促進している。その結果、前述の異常気象が現に発生している。
アメリカ西海岸の地域では地下水が少なくなっており、輪番断水がおきているとも聴きました。
これらをただ待っていてはならない。
そのために、人間がテクノロジーを使って何が出来るのかというのがこの本の論題となっています。
「人間が壊したものなので、人間が修復できる」と。
乱暴に要約してしまうと
- 都市化OK
- 原子力発電OK
- 遺伝子組換えOK
都市化を行うことで、水道や交通、公共設備をまとめてインフラ効率を図る。また人口爆発を抑止することも出来る。
原子力については、様々な比較や引用を用いて、このエネルギーが70億人を養っていくために一番現実的であると断定する。
遺伝子組換えについては、現在、除草剤や殺虫剤を使用し、土壌を耕すことで土の中に貯まったそれらの炭素を放出させる。(空気中の炭素が830ギガトンに対して、地球の土には1500ギガトン)これを遺伝子組換えで雑草や昆虫に強い植物を作り、除草剤を減らし、収穫量の増加、労働力の削減で持続可能な農業を目指していけると述べている。
原子力については、様々な比較や引用を用いて、このエネルギーが70億人を養っていくために一番現実的であると断定する。
遺伝子組換えについては、現在、除草剤や殺虫剤を使用し、土壌を耕すことで土の中に貯まったそれらの炭素を放出させる。(空気中の炭素が830ギガトンに対して、地球の土には1500ギガトン)これを遺伝子組換えで雑草や昆虫に強い植物を作り、除草剤を減らし、収穫量の増加、労働力の削減で持続可能な農業を目指していけると述べている。
ここに書かれているのは、常人では考えがつかない、テクノロジーの極論であると思います。先進科学を信じてきた彼こそ描くことができたグランドデザインです。
日本では今年、あのような事故が起こった事実があること、外国と違い日本には危険極まりない断層があるなど、原発に関しては賛否両論あることは否めません。
死ぬか生きるかという軍がもつ誤差管理があり、NASAなどの組織を持つアメリカと違い、現行の日本のシステムで日本人には核が扱えないのではないかということも講義で聴きました。
ただ、こうした私達が普段考えることのできない思考を一意見として見聞することで自分の考え方を選択しデザインする事がすごく重要なのだと思います。
図書館でちらっとでもいいので、読んでほしい本。
今年、こうやって地球を改めて考えることはすごく意義のあることだと思います。
これで2011年ラストのblogとします。来年もよろしくお願いいたします!
20111217
本の記録 / 豊臣家の人々・王城の護衛者
司馬遼太郎の短篇集2冊。
「豊臣家の人々」は、秀吉の親族の話。
「王城の護衛者」は、松平容保、岩倉具視、大村益次郎、河井継之助、岡田以蔵といった、どの人物も「個」も特徴のある人物で、後に何人かが長編でも取り上げられています。
歴史は面白い。人物が面白い。その中でも、特徴のある男が活躍する、戦国期、幕末期が群を抜いて好きだ。
「王城の護衛者」は、松平容保、岩倉具視、大村益次郎、河井継之助、岡田以蔵といった、どの人物も「個」も特徴のある人物で、後に何人かが長編でも取り上げられています。
歴史は面白い。人物が面白い。その中でも、特徴のある男が活躍する、戦国期、幕末期が群を抜いて好きだ。
豊臣家の人々 司馬遼太郎 角川文庫
成政ですら殺さなかったという評判は大いに天下をかけめぐり、それを伝えきいた諸国の対抗者たちはわが城をひらき、弓を地になげすててつぎつぎに服従してくるであろう。そのことの効果を秀吉は期待した。(p.167)
なるほど、そういえば藤吉郎は非力なうえに小男であり、槍も巧みそうではない。藤吉郎がいうのに、大将に必要なのは智恵であり、侍に必要なのは糞まじめさである。退くなといわれれば骨が鳴るほどに慄(ふる)えていても退かぬというのがよき侍であり、いかに膂力(りょりょく)があり平素大言壮語していても合戦の正念場で崩れたつような男では侍ではない。(p.224)
兵法の極意はついにわが身を韜晦(とうかい)することにある (p.237)
「言うな」
家康は不機嫌な表情でいった。そのような感情論を百夜きいたところで何になるであろう。(p.288)
あのような気勢者(けおいもの)の若者に対しては、物の言いかたがある。(p.338)
新しい時代を切り拓く力と、そこで得た権威・権力を保つ力とは、おのずから異なるものである。(p.517)
王城の護衛者 司馬遼太郎 講談社文庫
(苦手なことはやってはならぬ)
とかれ(松平容保)はおもっていた。(p.41)
策士は内に真を蔵しつつ、情勢に応じて変幻自在の策を用いまするゆえ、時あっては心ならずもの手をうつこともありましょう。(p.149)
私(村田蔵六)の兵学で士というのは。諸藩で高禄を食(は)む者のことではない。士の武器は刀槍ではなく重兵(兵卒)の隊であり、士の技能は何流の剣術ではなく、重兵を自在に指揮する能力である。武士、武士といって威張っている者に、国家の安危は託せられない」(p.226)
「しかし人間、ふた通りの生きかたはできぬものだ。おれ(河井継之助)はおれの算段どおりに生きねばならん」(p.298)
英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがある。(p.333)
「以蔵、それはちがう」
と、片言隻句までいちいち訂正した。いや西郷と武市の、親分としての資質の致命的なちがいは、ユーモアの感覚の有無であったろうか。(p.365)
「天誅とはいえ、主君の御名前が出るのは、たとえ舌を噛みきっても出してはならぬところだ。そちは大声で藩名を呼ばわった。いったい、どういう料簡でいるのか。それでも柏章旗(土佐藩の藩章)下の士か。いやさ、それほどの不用意で、国事を為せると思うのか。王事につくす志といえるのか」(p.382)
20111203
本の記録 / 国盗り物語(後半)
国盗り物語(後半) 司馬遼太郎 新潮文庫
後半は織田信長、明智光秀の物語。
道三の晩年を知り尊敬する二人が、全く異なる性格を持ち、人生を歩んでゆくさま。
道三の晩年を知り尊敬する二人が、全く異なる性格を持ち、人生を歩んでゆくさま。
両人物からの視点で描かれていて、中立的に物語を読み進めることが出来ました。
〈三〉
― 陰口などはきにするな、そちのことはわしだけが知っている。
というような眼差しでつねに(父の信秀が)見まもってくれていた。(p.76)
「よいか、そちはいくさで偵察(ものみ)にゆく、敵の群がっている様子をみて、そちはとんでかえってきて、『敵がおおぜいむらがっておりまする』と報告する。ただおおぜいではわからぬ。そういうときは『侍が何十人、足軽が何百人』という報告をすべきだ。頭一つをみても、ただ『禿でございます』ではわからぬ。おれはそんな不正確なおとこはきらいだ。」(p.90)
万事、執念深いほどにこの男(信長)は実証的だった。
実証のすえ、蝮の好意を感じた。(p.122)
道三にすれば、人君たる者は怖れられねばならぬ、と思っている。懐(なつ)かれてしかも威があるというのは万将に一人の器で、普通の生まれつきでは期しがたいものだ。それよりも、一言の号令が万雷のように部下に降りおちるという将のほうがこの乱世では実用的である。(p.149)
「いくさは利害でやるものぞ。さればかならず勝つという見込みがなければいくさを起こしてはならぬ。その心掛けがなければ天下は取れぬ。信長生涯の心得としてよくよく伝えておけ」(p.208)
なまじい、援軍うんぬんを言えば、せっかくのその気組がくずれ、かえって依頼心が生じ、士気が落ち、この正念場をしくじるかもしれない。(p.239)
「私語をするな、隊伍を乱すな、敵味方の強弱を論ずべからず。犯すものを斬る。」(p.321)
(京にいる将軍に会いたい)
それが目的の一つ。
(堺で、南蛮の文物を見たい)
それが目的の二つ目である。
むろんかれを駆り立てているエネルギーはこの男の度外れて烈しい好奇心であるが、この好奇心を裏付けているずっしりとした底意もある。他日、天下をとるときのために中央の形成を見、今後の思考材料にしたいのである。(p.381)
細川藤孝ら幕臣の立場とちがって、光秀は朝倉家の客分、身は牢人にすぎない。よほどの危険を買って出ねば、将来、将軍の幕下で身をのしあげてゆくことはできない。(p.475)
男子、志を立てるとき、徒手空拳ほどつらいものはない。(p.493)
「軍は必ずしも幾戦幾万の兵をもって野戦攻城をするものとはかぎらぬ。匕首(ひしゅ)を飛ばして瞬時に事を決する場合もありうる」(p.513)
信長には稀有な性格がある。人間を機能としてしか見ないことだ。織田軍団を強化し、他国を掠(かす)め、ついには天下をとる、というとぎすました剣の尖(さき)のようにするどいこの「目的」のためにかれは親類縁者、家来のすべてを凝集しようとしていた。
かれら ― といっても、彼等の肉体を凝集しようとしているのではない。
かれらの門地でもない。かれらの血統でもない。かれらの父の名声でもない。信長にとってはそういう「属性」はなんの意味もなかった。
機能である。(p.520)
能力だけではない。
信長の家来になるに働き者でなければならない。それも尋常一様な働きぶりでは信長はよろこばなかった。身を粉にするような働きぶりを、信長は求めた。
それだけではない。
可愛げのある働き者を好んだ。能力があっても、謀反気(むほんげ)のつよい理屈屋を信長は好まず、それらの者は織田家の尖鋭きわまりない「目的」に適わぬ者として、追放されたり、ときには殺されたりした。(p.521)
才能というものは才能をときに嫉(そね)むものだ。(p.528)
信長は、秀吉の才気よりもむしろ、その陰日向(かげひなた)のない精励ぶりに感心した。(p.530)
(四)
信長は待つことも知っている。屈することも知っている。むしろ桶狭間で冒険的成功をおさめた信長は、それに味をしめず、逆に冒険とばくちのひどくきらいな男になったようであった。(p.24)
屈辱のかぎりをつくしておべっかと媚態外交をする以外にない。むしろ、こっちが手なずけられてしまわなければ危険であった。手なずけるのも手なずけられるのも、要はおなじ結果である。危険は去る。(p.91)
(稲葉山城は)防衛にはいい。
そのよすぎることが、殻の中にいるさざえのように清新溌剌の気分を失せさせ、心を鈍重にし、気持ちを退嬰(たいえい)させ、天下を取るという気持ちを後退させる。(p.126)
「士は三日見ざれば刮目(かつもく)して見るべしと古典にもございます。変わることこそ漢(おとこ)たる者の本望でございましょう」(p.138)
(あの男(信長)は、勝てるまで準備をする)(p.168)
この人物を動かしているものは、単なる権力慾や領土慾ではなく、中世的な混沌を打通(だつう)してあたらしい統一国家をつくろうとする革命的な欲望であった。(p.192)
米でしか勘定のできぬ大名とちがい、信長は金銭というものを知っている(p.201)
英雄には当然ながら器量才幹が要る。それは自分に備わっていると光秀は信じている。しかし器量才幹がだけでは英雄にはならぬものだ。運のよさが必要であった。天運が憑いているかどうか、ということでついにきまるものであると光秀は信じている。(p.211)
「将軍というものは、よほどの器量人か、よほどの阿呆でなければつとまらぬ職だ。その中間はない」(p.237)
条件が崩れても、すでに行動をおこしてしまった以上、普通は未練がのこるものだ。げんに勝ち戦である。(中略)
が、信長は勝負をやめた。
とっさに逃げたのである。(p.330)
信長は、わが身の過ぎにし事をふりかえってあれこれと物語る趣味は皆無であった。つねにこの男は、次におこるべき事象に夢中になっている。(p.370)
そんな解説をきかされなくとも信長は百もわかっている。どうする、という結論だけ聞けば信長にとって十分だった。(p.387)
戦とはつねに絹糸一筋をもって石をぶらさげているようなものだ。風で石が動くたびに絹糸は切れそうになる。当然である。(中略)戦とはその切れるか切れぬかの際どい切所でどれだけの仕事をするかにかっかっている。(p.392)
この状態の戦況にあっては、総帥自身が、
― 敗けた。
と思った瞬間から敗北がはじまることを信長は知っている。信長は思うまいとした。(p.403)
信長は徹頭徹尾、人間を機能的に見ようとしている男で、その信長の思想こそこんにちの日本一の織田軍団をつくりあげているといっていいであろう。(p.437)
(愚策であろうが下策であろうが、とにかく打てるかぎりの手を、休みなく隙間なく打とうとしている)(p.447)
「木は木、かねはかねじゃ。木や金属でつくったものを仏なりと世をうそぶきだましたやつがまず第一の悪人よ。つぎにその仏をかつぎまわって世々の天子以下をだましつづけてきたやつらが第二の悪人じゃ」(p.465)
急がねばならぬのは、主人の信長がつねに速度を愛する男だったからである。(p.473)
勇者の声望があれば今後政戦ともに仕事がしやすいが、臆病といわれればいかに智略をもっていても人は軽侮し、その智略を施すことさえできない。(p.495)
食録とは所詮は餌にすぎぬ。食録を得んとして汲々(きゅうきゅう)たる者は鳥獣とかわらない。世間の多くは鳥獣である。おだけの十八将のほとんどもそうである。ただし自分のみはちがう。英雄とはわが食録を思わず、天下を思うものをいうのだ、と光秀は言いつづけた。(p.550)
何事も自分で手をくだすというのは信長の性格でもあろう。しかしそれだけではない。織田家で体力智力とももっともすぐれた者は信長自身であった。(p.554)
「お前は吝嗇(りんしょく)なために古い家来に加増もしてやらぬ。そのため人もあつまって来ない。人数もそろい、有能な家来を多く持っておれば、少々お前が無能でもこれほどの落度もあるまいのに、貯えこむばかりが能なために天下の面目を失うた。」(p.588)
この紹巴に自分の内心をうちあけることによって自分自身を決心へ踏みきりたかったのである。(p.644)
「男子の行動は明快であらねばなりませぬ。左様に遅疑(ちぎ)し逡巡し、かつ小刀細工を用いて人目を小ぎたなくお飾りなさるよりも、いさぎよく天下をお取りあそばせ。(中略)御思案のあいだならば、左右前後のことをお考えあそばすのは当然なれど、いったんお覚悟あそばれたる以上、物にお怯えなさるべきではござりませぬ。」(p.658)
信長のふしぎは、これほどひんぱんに京にくるくせに、京に城館をつくらぬことであった。(中略)信長の経済感覚が、そうさせているようにおもわれる。建物は建造費もさることながら維持費が大きい。いささかの金でも天下経略のためにつかおうというこの合理主義者にとっては、無用の費えであった。(p.667)
時勢の人気に投じ、あたらしい時代をひらく人格の機微は、人々の心をおのずと明るくする陽気というものであろう。(p.690)
光秀の計算では、計算として精緻(せいち)なつもりであった。しかしあくまで計算は現実ではない。計算は計算にすぎなかった。
(そういうことらしい。最初から、間違いのうえに立って算用を立てた。あやまりは根本にある)
光秀はうすうす気づいていた。計算の根本にある自分についてである。どうやら新時代の主人になるにはむいていないようであった。(p.699)
「おれは天下をとるのだ。天下をとるには善い響きをもつ人気がいる。人気を得るにはずいぶん無駄が必要よ。無駄を平然としてやれる人間でなければ天下がとれるものか」(p.716)
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