p.297 それ(「統帥綱領」のように高級官僚の行動を細かく規定したものなど)が聖典化する過程で、視野の狭小化、想像力の貧困化、思考の硬直化という病理現象が進行し、ひいては戦略の進化を阻害し、戦略オプションの幅と深みを著しく制約することにつながった
p.317 (米軍の指揮官交替システム)組織を活性化させるには、各自に精一杯仕事をさせることが重要であり、有能な少数の者にできるだけ多くの仕事を与えるのがよいと考えた結果である。しかし、人間は疲れるから、いつまでも同じ仕事を与えるのはまずい。その人間の能力の最良の部分を活用することが大切である。キング元師は、こう考えて特定の担当者のほかは、作戦部員を前線の要員と一年前後で次々と交代させた。これによって、優秀な部員を選抜すると共に、たえず前線の緊張感が導入され、作戦策定に特定の個人のしみがつくこともなかったといわれている。
p.325 個人による統合は、一面、融通無碍な行動を許容するが、多面、原理・原則を書いた組織運営を助長し、計画的・体系的な統合を不可能にしてしまう結果に陥りやすい
p.326 精神主義のもつもう一つの問題点は、自己の戦力を過大評価することである。
p.326 失敗した先方、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織のほかの部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。これは物事を科学的、客観的に見るという基本姿勢が決定的にかけていたことを意味する。また、組織学習にとって不可欠な情報の共有システムも欠如していた。
p.328 どんな計画にも理論がなければならない。理念と理想に基づかないプランや作戦は、助成のヒステリー声と同じく、多少の空気振動以外には、具体的な効果を与えることはできない。
p.332 組織が長期的に環境に適応していくためには、自己の行動をたえず変化する現実に照らして修正し、さらに進んで、学習する主体としての自己自体を作り変えていくという自己革新的ないし自己超越的な行動を含んだ「ダブル・ループ学習」が不可欠である。
p.335 個人責任の不明確さは、評価をあいまいにし、評価のあいまいさは、組織の学習を阻害し、論理よりも声の大きなものの突出を許容した。
p.358 日本軍と米軍の戦略・組織特性比較
分類 | 項目 | 日本軍 | 米軍 |
戦略 | 1.目的 | 不明確 | 明確 |
2.戦略志向 | 短期決戦 | 長期決戦 | |
3.戦略策定 | 帰納的(インクリメンタル) | 演繹的(グランド・デザイン) | |
4.戦略オプション | 狭い(統合戦略の欠如) | 広い | |
5.技術体系 | 一点豪華主義 | 標準化 | |
組織 | 6.構造 | 集団主義・人的ネットワークプロセス | 構造主義・システム |
7.統合 | 属人的統合(人間関係) | システムによる統合(タスクフォース) | |
8.学習 | シングル・ループ | ダブル・ループ | |
9.評価 | 動機・プロセス | 結果 |
p.344 組織の学習とは、外部環境の生み出す機会や脅威に適合するように、組織がその資源を蓄積・展開することである。そのためには、まず組織はその戦略的使命(ストラテジー・ミッション)を定義しなければならない。(中略)第二には、組織は、そのようなデザインに基づいて必要な資源を蓄積し、それを運用するヒトを練磨しなければならない。そして第三に、組織はそのようにして蓄積した資源を彼の弱みを突きわが優位に立てるような形で展開することが要請される。
p.366 年功序列型の組織では、人的つながりができやすく、またリーダーの過去の成功体験が継続的に組織の上部構造に蓄積されていくので、価値の伝承はとりたてて努力をしなくても日常化されやすいのである。このようなリーダーシップの積み上げによって、戦略・戦術のパラダイムは、組織の成員に共有された行動規範、即ち組織文化にまで高められる。組織の文化は、とりたてて目をひくまでもない、些細な日常の人々の相互作用の積み重ねによって形成されることが多いのである。
p.370 組織文化は、共有された行動形式であるから、組織学習と密接な関係がある。それは、成員に共有されるに至った行動との結びつきが強い知識といってもよいだろう。組織文化は、①価値、②英雄、③リーダーシップ、④組織管理システム、⑤儀式などの一貫性を持った相互作用のなかから形成される。
p.372 軍事組織とカトリック教会は、その価値の反復・伝承のために、最も頻繁に儀式を行う組織である。儀式とは、組織内の日常生活のなかでプログラム化された行事である。
p.391 戦略的志向は日々のオープンな議論や体験のなかで蓄積されるものである。戦略・戦術マインドの日常化を通じて初めて戦略性が身につくのである。
p.395 日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった、ということであった