20111123

本の記録 / 胡蝶の夢


胡蝶の夢  司馬遼太郎  新潮文庫

動乱期の幕末を松本良順司馬凌海(島倉伊之助)など医者の視点を通して書かれた物語。


前回の大村益次郎を含め、医者が語学を含めた洋学の多くを担い、開国~開化まで大きな役割を果たしたことを学びました。

また、松本良順は新選組や河井継之助()なんかにも出てきて、すごく気になっていました。その人となりを知れてよかった。
松本良順:wikipediaより引用


いま自分の立場で何が出来るのか。
何をしなければいけないのか。

===

〈一〉

死にぐるいになって、六十日で漢方の書籍を憶えて憶えて憶えぬいてみるか。(p.81)

「武士と言うものはな、たえず風が吹きとおっているような人間でなくてはないかん。」「毎日、どこで落命してもいいように、自分の始末だけはしておけ」(p.110)

既成体制がもっとも怖れるのは、それを突きくずす思想というものだ(p.119)

「相手の感情へのいたわりが礼儀のはじまりだ」(p.193)

まず養父良甫を解かねばならない。が、養父に危険をもたらすこの願望をどう切り出して打ち上げるべきかを悩んだ。紀伊国橋の岸から飛び込んだのは、異状ではあったが、両順にも多少の理由がある。養父良甫に、まず緊張を強いてみたつもりだったのである。(p.336)

「土地を知りぬくことは、後日何かの役に立つことにございます」(p.385)

「快適のその日その日を生きたい、という欲求が、人間ならたれにでもある。あらねばならんし、この欲求を相互に守り、相手を傷つけることをしない、というのが、日常というもののもとのもとなるものだ」
だから、群居している人間の仲間で、行儀作法が発達した。行儀作法は相手にとって快感のためにあるのだ、と良順はいう。(p.458)


〈ニ〉

世の支配者にとってもっともおそろしいものは、思想であろう。

万人に差別意識を強固に持たせることによって徳川の体制は成立している。(p.130)

「相手を尊敬しなければ、相手の持っているものが自分の体の中に入ってこない」(p.244)
物言いはやはり人柄がくっついて出てくるものらしく、(p.324)

(この男は、要するに何かを共有していないだけのことではないか。)
と、寛斎はおもった。何か、ということについて、寛斎が生きていることの時代、適切な用語がない。要するに文化というものであろう。一つの民族がひとつの社会を営むために、人と人の間におこる無用の摩擦や感情の齟齬(そご)を避ける文化が発達する。日常の行儀、相手への気づかいを示すちょっとした仕草、あるいは言葉づかいといったもので、それらを、どの民族の社会でも堅牢に共有し、相続させてゆく。(p.358)

人事というのは良順が信じているほどに図式的ではない。(p.459)


〈三〉

 世間体(せけんてい)、世間擦れ、世間雀、世間師、世間騒がせ、世間知らず、といった意味での世間は、オランダ語にはその陰翳(いんえい)に符合した言葉がなく、公共、社会、現世などとはちがっている。
世間気という言葉もよくつかわれる。世間が自分や自分たち一家のことをどうおもうかということでしきりに世間体を繕う気遣いのことである。このふしぎな精神は日本の水田耕作の農村という形態から出たもので、中国にも同質のものはない。農民も武士も世間気を使い、世間口をおそれ、世間体をつくろって暮らしている。(p.137)

「野郎世帯というのをご存知か」
と、慶喜の側近と雑談するときに、いったことがある。宮大工などが、山寺の修復をするとき、男ばかりがかたまって山中でくらすために喧嘩や刃傷(にんじょう)沙汰(ざた)がおこりやすい。
「たがいに寛容でなくなる」(p.283)

屯所内を良順が一巡しておどろいたのはどの座敷でも壮漢が昼からごろごろしていることで、これは(さん)(さい)の盗賊のようだ、と言い、
「せっかく志あるものも環境上無頼漢の気分になってゆくのではないか」
と、いうのである。(p.415)


〈四〉

慶喜は憤懣をおさえかねたが、しかし揚げ足をとられることをおそれて言葉数をすくなくし、
― 返答はしばらく猶予を。
ということで、使者の春嶽をひきとらせた(p.99)

中山のいう簡単とは容易という意味ではなく、単純で明瞭という意味である。この困難に処する道は複雑な態度では処しきれず、どこかで矛盾撞着(どうちゃく)ができてしまう。佐渡の民を守る、というだけの方針なら、どんな事態でも誤ることはあるまい。(p.195)

伊之助は世の中でおよそいそましいということほど嫌いなものはない。なんのために人は勇ましくしたがるのか、勇ましくすれば世間がよくなるのか、ひとびとが楽しくなるのか、あるいは酒食でももらえるのか、まったくよくわからない。わからない以上に、男どもが勇ましくしはじめると、伊之助は恐ろしくなってしまう。
(中山修輔さん、どうか勇ましがってくださるな)
ということを、伊之助は腹の内で()を合わせたい思いで願っている。中山が変に勇ましがれば壮士が昂奮(こうふん)するだろうし、その熱気が本土につたわって敵を誘い込むはめになってしまう。(p.196)


20111119

音楽の記録 / andymori

「革命」

強い言葉のアルバム。

メンバーが入れ替わりグルーブ感が増した30分にも満たない疾走感のあるアルバム。

歌詞は日常を切り取っているが、そこには曽我部恵一のようなハッピーはない。
疾走感はあるが、ブルーハーツのようなテンションもない。
ロックンロールという音楽性をつかった若者の旗手でもない。

ただただ現実が、その風景が、フロントマン小山田壮平の吐露がそこにはある。

過去のアルバムすべてを通していえるのは、「あの日」、「君」といった現実に足を絡められ続ける後悔に似たような言葉。
それに対するように「ファンファーレ」、「明日」、「きっと」といった希望の言葉。

「なりたい」「だろう」では革命がおこるはずもない。
悔やむ日常、もどかしさ。希望。
そんな身近な若者のアルバム。

以前も紹介した"革命"衝撃。

すごくいいバンドなんだ、と堂々と宣言した曲。


愛する者に向けた感謝と希望の歌



最近出てきた日本のバンドの中では断トツ。


20111109

旅の記録 / ホーチミン


タイガーエアーというLCC(格安航空会社)でベトナム・ホーチミンへ向かいました。
ホーチミンは1年ぶりです。
殺風景のガランとしたBudget Terminal。
行き先の掲示板にはVISAの広告。

レシートじゃなくて搭乗券。
たしかに、普通の航空券ってなんであんな分厚い紙なんだろ。


このオートバイ集団。
ベトナムへやって来たと実感しました。
フォー!

練乳たっぷりの甘いベトナムコーヒー。
暑い気候で飲むと元気が出ます。
ベトナムコーヒーのあの香ばしくチョコやナッツのような香りは、
バターで煎ってるからなんですね。→参考

さて、ホーチミンにやってきた目的は、Pizza 4P'sというレストランに行ってみたかったからです。

3月ぐらいに代表の益子さんのBlog 「まいどおおきにホーチミン」を偶然拝見し、その行動力や趣味嗜好、やっていることなどドンピシャだったので勝手にコンタクトを取らせていただき、メールで何度かやり取りさせていただきました。

そしてようやく来店できました。
紫がかっこいい。
店内大賑わいでした。

店に入ると、高く伸びる煙突の窯が目立ちます。

情熱あるチーム。うらやましいです。


開店後わずか半年での実績やスピード感、将来のスケール大きな目標などをお聞きすることができて、本当に刺激を受けました。(詳しくは益子さんのBlogで)
夜遅くまで本当にありがとうございました!





旅の記録 / シンガポール



シンガポールに行って来ました。
友人に会うためと、シンガポールという東南アジアにおいて突出して発展をしてきた国をこの目で見ておきたい。という思いからです。

シンガポールについてはよくバックパッカー時代「東京のようだから」とか「綺麗過ぎるから」と別に行かなくてもいいというような話を何度か聞いていました。

こんな否定的な話が耳に残っているぐらい、自分自身やはりアジアにはあの喧騒を求めているところが多々ありシンガポールを避けてきた気がします。勝手な話です。

実際、行った結果、私が今まで持っていた東南アジアのイメージを見事に覆してくれました。
そして感動しました。

イスラム、インド、中国、韓国、ヨーロッパ、日本。
多種多様の民族がいて料理があって、けれども違和感はない。
ヨーロッパに行ったときのようににアジア人としてからかわれるようなこともない。

チェーンではなく天ぷら、寿司、ラーメン日本の見たこともない店が多く出店してる。

古きもあるし、新しいもある。

東南アジアの料理が集まったフードコートも残っていて250円ぐらいで1食が食べれる。
小さな町の中にショッピングモール、百貨店なんかがひしめき合っている。

夜も観光客や地元民で大賑わいでした。


クラブストリートという通り。
多分日本と言われてもわからない。

チャイナタウン。アジアの雰囲気が楽しめます。でも綺麗。
到着日何も言わずに行ってサプライズをしようと思ったら閉店していて、
帰る途中のケンタロにたまたま遭遇できた。
2日目に再チャレンジ。
銅で囲った高価な窯。
大学時代からの親友のチョンマゲゴリラことケンタロ。
pizzeria L'operetta 

ライオン人魚ことマーライオン。
でかいマーライオン。
さっきのは小さいのはなんだろ。
英語という共通の言語と治安という秩序で守られ成長したたひとことで言うと「楽しい」国でした。
湾に浮かぶ船のような建築のヴィトン。
惚れ惚れです。

最後に一句


夜景かな シンガポールも 一人かな

20111105

本の記録 / キン肉マン

屁のつっぱるほど好きなんです。大好きなので投稿しておきます。

キン肉マン (wikipedia)

少年ジャンプの全盛期の頃小学生でした。多分ぎりぎりキン肉マン世代、小学生の頃に王位争奪編をやっていました。

この当時はドラゴンボール、北斗の拳好き、ガンダム好きが圧倒的で、そのあとキン肉マン好きがこっそり次いでいると勝手に思っています。

特にプロレスが好きなわけではないのですが、私は圧倒的にキン肉マン派でした。

なぜそれほど好きなのか、個人的な見解ですが30歳になった今整理をしておきます。
  • 格好良くない主人公。(これを遊び心と考えています。)
  • 個性的なキャラクターや必殺技。(6をひっくりかえして9のキン肉バスター、わかるかな?)
  • プロレス技など光線やサーベルではない人間味。(おならで飛ぶなど超人的なところもあるけれども、戦いの中で使われる多くがプロレス技。)
  • 友情のために自分を犠牲にするという武士道。(何度も蘇れます。)
  • 絵の進化。(作者の成長にうれしくもなります。)
  • 色彩豊かなキャラクター(アニメ版ではすごくカラフルなキャラクターとなっており、見た目にも小さな子が楽しめれる。)
  • 圧倒的な矛盾。(これも人間味。)
思いつくままに箇条書きにして見ました。


どなたか、キン肉マンについて飲んで語り合いましょう。


20111103

イベントの記録 / OPEN harvest


11月2日(水)シェ・パニーズのスタッフによって食のイベントが行われました。@東京都現代美術館



http://foodlight-project.blogspot.com/





1週間ほど前に訪れたサンフランシスコの地で訪れた、シェ・パニーズ(前通っただけ)やFOUR BARREL COFFEEなんかが集まり、食とアートの融合というイベントのメインイベント。

この前、神山町でも同様のイベントに顔を出したのですが、今回がメインのものでありおそらく300人ぐらいがいたのではないでしょうか。

(サンフランシスコについてのレポート 「旅の記録 / SFO2,SFO3」)

入り口には土に生えたままの野菜。
当たり前だけどフレッシュです。

サラダ。

鳩の羽をむしる姿。
残酷さはなく、命を頂いているという実感。

キノコ。
見せ方も素敵。

一番盛り上がっていた鹿の解体ショー。
こちらも同様、鹿の命をいただきました。

先ほどの鹿の肉のタタキ

鹿肉バーガー。
これでお腹いっぱいに。

店内大賑わい。

コーヒー豆を炒っています。
時間かかるようです。

エスプレッソ。
やっぱりおいしい。
他にも、脱穀の体験、八海山などの原酒、カリフォルニアのワイン、海の幸のビスク、みかんのシャーベットなどもありました。

シェ・パニーズの取り組みが地産地消やオーガニックなどにこだわることであり、今回のイベントは生産者の顔が見えるすごく楽しいイベントでした。

クラブのように音楽が流れ、解体ショーなど臨場感もたっぷり。フロアには食やアートに関心のある僕達30代、40代が多く占めていました。

こうした切り口のイベントにより、飲食や生産に従事していない参加者の方もこれをきっかけに食について関心を持てるというイベントだったと思います。
また従事している人にとっては「いただきます」という、葉や動物、米、果物など多くの命を頂いているという事実を改めて実感したのではないかと思います。感謝です。

そして食材に真摯でありたいと思いました。

そして自分で店を持ってこんなイベントをやりたい!
食は人生のサイコーの友。
そうだ。