20111219

本の記録 / 地球の論点



地球の論点 Whole Earth Discipline  スチュアート・ブランド  英治出版


この本はスティーブ・ジョブスがなくなった際、本屋の追悼コーナーにて手にしました。
表紙にはこう書いてあります。

若き日のスティーブ・ジョブスを熱狂させた伝説の雑誌
ホール・アース・カタログ 発行人が描く地球の「グランドデザイン」。

― Stay hungry, Stay foolish.

スティーブ・ジョブスが大学のスピーチで締めくくったこの有名な言葉は、彼の若い頃に熱中して読んだと言われるWhole Earth Catalogという雑誌からの引用でした。

その雑誌はヒッピー文化の西海岸にて最新の本・道具・技術などを紹介し、考えるきっかけやツールとして「若者自立支援のブックガイド」の役割を果たしていたといいます。

また、その姿勢は先進科学を否定せず、受け入れ、それによって自分のライフスタイルを選びデザインするという雑誌だったともいいます。

Whole Earth Catalog (HP)


そのスチュアート・ブランドが地球について論じた著書。


 色々な意味で衝撃を受けました。そして、SPBSにて11月から開かれた3回の講座にて感銘を受けたのでここに残しておきます。


序章にはアメリカ官房長官から要請され2003年に描かれた気候変動のシナリオが書かれています。衝撃ですが、まずは引用します。
現在も地球温暖化によって北極の氷が解け、北大西洋では真水が増えている。GBNの予測によると、たとえば2010年には、8200年前の状況と同じく、突然「軽度」の寒冷状況が生まれる。気温や湿度が急激に下がり、風が強まり、主要な農業地域で干ばつが起こる。厳冬になり、思いがけない地域で強烈な嵐や洪水に見舞われる。私たちの予測によると、ヨーロッパの気候は2020年までにシベリアなみに近づく気配だ。
地球全体の食料、飲料水、エネルギーの供給量が心もとなくなる。地球の環境収容力は、2020年時点における推定人口75億人を維持できなくなる。環境収容力が限界に達した際には、過去100万年の教訓にあるように、資源をめぐる争いが再燃する。2020年の時点では、戦争、疾病、飢餓のために人口は減少し、その時点における環境収容力に見合ったところで落ち着く。  

2010年の突然の変化は幸い起こりませんでしたが、異常気象と呼ばれる現象がこの何年か世界中で頻繁に起きているのは周知の事実ではないでしょうか。洪水、酷暑、熱風、干ばつ、ハリケーンやゲリラ豪雨。

また徐々に温暖化が進むのではなく、温暖化が進むと、メタンガス、氷、海流など様々な要因が重なり急激に、そして突然の変化、低温化が起きるとも書いてあります。


講義の中であった話ですが、地球が誕生した46億年前の地球を460mとすると人類(ホモサピエンス)が誕生して現在までわずか2cm。
母なるガイアにとって人間の存在はすごく小さなものです。

その人間が、46億年かけてつくりだしたその自然エネルギーを大量に消費し、地球の温暖化を促進している。その結果、前述の異常気象が現に発生している。

アメリカ西海岸の地域では地下水が少なくなっており、輪番断水がおきているとも聴きました。


これらをただ待っていてはならない。

そのために、人間がテクノロジーを使って何が出来るのかというのがこの本の論題となっています。
「人間が壊したものなので、人間が修復できる」と。
乱暴に要約してしまうと
  • 都市化OK
  • 原子力発電OK
  • 遺伝子組換えOK
都市化を行うことで、水道や交通、公共設備をまとめてインフラ効率を図る。また人口爆発を抑止することも出来る。

原子力については、様々な比較や引用を用いて、このエネルギーが70億人を養っていくために一番現実的であると断定する。

遺伝子組換えについては、現在、除草剤や殺虫剤を使用し、土壌を耕すことで土の中に貯まったそれらの炭素を放出させる。(空気中の炭素が830ギガトンに対して、地球の土には1500ギガトン)これを遺伝子組換えで雑草や昆虫に強い植物を作り、除草剤を減らし、収穫量の増加、労働力の削減で持続可能な農業を目指していけると述べている。

他にも、温暖化を防ぐためのテクノロジーの有効な具体的な活用方法も書かれています。(SFレベル!!)


ここに書かれているのは、常人では考えがつかない、テクノロジーの極論であると思います。先進科学を信じてきた彼こそ描くことができたグランドデザインです。


日本では今年、あのような事故が起こった事実があること、外国と違い日本には危険極まりない断層があるなど、原発に関しては賛否両論あることは否めません。


死ぬか生きるかという軍がもつ誤差管理があり、NASAなどの組織を持つアメリカと違い、現行の日本のシステムで日本人には核が扱えないのではないかということも講義で聴きました。


ただ、こうした私達が普段考えることのできない思考を一意見として見聞することで自分の考え方を選択しデザインする事がすごく重要なのだと思います。
図書館でちらっとでもいいので、読んでほしい本。


今年、こうやって地球を改めて考えることはすごく意義のあることだと思います。

これで2011年ラストのblogとします。来年もよろしくお願いいたします!

20111217

本の記録 / 豊臣家の人々・王城の護衛者

 司馬遼太郎の短篇集2冊。

 「豊臣家の人々」は、秀吉の親族の話。
 「王城の護衛者」は、松平容保、岩倉具視、大村益次郎、河井継之助、岡田以蔵といった、どの人物も「個」も特徴のある人物で、後に何人かが長編でも取り上げられています。


 歴史は面白い。人物が面白い。その中でも、特徴のある男が活躍する、戦国期、幕末期が群を抜いて好きだ。

豊臣家の人々  司馬遼太郎  角川文庫


成政ですら殺さなかったという評判は大いに天下をかけめぐり、それを伝えきいた諸国の対抗者たちはわが城をひらき、弓を地になげすててつぎつぎに服従してくるであろう。そのことの効果を秀吉は期待した。(p.167)

なるほど、そういえば藤吉郎は非力なうえに小男であり、槍も巧みそうではない。藤吉郎がいうのに、大将に必要なのは智恵であり、侍に必要なのは糞まじめさである。退くなといわれれば骨が鳴るほどに慄(ふる)えていても退かぬというのがよき侍であり、いかに膂力(りょりょく)があり平素大言壮語していても合戦の正念場で崩れたつような男では侍ではない。(p.224)

兵法の極意はついにわが身を韜晦(とうかい)することにある (p.237)

「言うな」
 家康は不機嫌な表情でいった。そのような感情論を百夜きいたところで何になるであろう。(p.288)

あのような気勢者(けおいもの)の若者に対しては、物の言いかたがある。(p.338)

新しい時代を切り拓く力と、そこで得た権威・権力を保つ力とは、おのずから異なるものである。(p.517)



王城の護衛者  司馬遼太郎  講談社文庫


(苦手なことはやってはならぬ)
とかれ(松平容保)はおもっていた。(p.41)

策士は内に真を蔵しつつ、情勢に応じて変幻自在の策を用いまするゆえ、時あっては心ならずもの手をうつこともありましょう。(p.149)

私(村田蔵六)の兵学で士というのは。諸藩で高禄を食(は)む者のことではない。士の武器は刀槍ではなく重兵(兵卒)の隊であり、士の技能は何流の剣術ではなく、重兵を自在に指揮する能力である。武士、武士といって威張っている者に、国家の安危は託せられない」(p.226)

「しかし人間、ふた通りの生きかたはできぬものだ。おれ(河井継之助)はおれの算段どおりに生きねばならん」(p.298)

英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがある。(p.333)

 「以蔵、それはちがう」
と、片言隻句までいちいち訂正した。いや西郷と武市の、親分としての資質の致命的なちがいは、ユーモアの感覚の有無であったろうか。(p.365)

「天誅とはいえ、主君の御名前が出るのは、たとえ舌を噛みきっても出してはならぬところだ。そちは大声で藩名を呼ばわった。いったい、どういう料簡でいるのか。それでも柏章旗(土佐藩の藩章)下の士か。いやさ、それほどの不用意で、国事を為せると思うのか。王事につくす志といえるのか」(.382)


  

20111203

本の記録 / 国盗り物語(後半)



国盗り物語(後半) 司馬遼太郎  新潮文庫

後半は織田信長、明智光秀の物語。
道三の晩年を知り尊敬する二人が、全く異なる性格を持ち、人生を歩んでゆくさま。

両人物からの視点で描かれていて、中立的に物語を読み進めることが出来ました。


〈三〉
― 陰口などはきにするな、そちのことはわしだけが知っている。
 というような眼差しでつねに(父の信秀が)見まもってくれていた。(p.76)

 「よいか、そちはいくさで偵察(ものみ)にゆく、敵の群がっている様子をみて、そちはとんでかえってきて、『敵がおおぜいむらがっておりまする』と報告する。ただおおぜいではわからぬ。そういうときは『侍が何十人、足軽が何百人』という報告をすべきだ。頭一つをみても、ただ『禿でございます』ではわからぬ。おれはそんな不正確なおとこはきらいだ。」(p.90

 万事、執念深いほどにこの男(信長)は実証的だった。
 実証のすえ、蝮の好意を感じた。(p.122

 道三にすれば、人君たる者は怖れられねばならぬ、と思っている。懐(なつ)かれてしかも威があるというのは万将に一人の器で、普通の生まれつきでは期しがたいものだ。それよりも、一言の号令が万雷のように部下に降りおちるという将のほうがこの乱世では実用的である。(p.149

「いくさは利害でやるものぞ。さればかならず勝つという見込みがなければいくさを起こしてはならぬ。その心掛けがなければ天下は取れぬ。信長生涯の心得としてよくよく伝えておけ」(p.208

 なまじい、援軍うんぬんを言えば、せっかくのその気組がくずれ、かえって依頼心が生じ、士気が落ち、この正念場をしくじるかもしれない。(p.239

 「私語をするな、隊伍を乱すな、敵味方の強弱を論ずべからず。犯すものを斬る。」(p.321

(京にいる将軍に会いたい)
それが目的の一つ。
(堺で、南蛮の文物を見たい)
それが目的の二つ目である。
 むろんかれを駆り立てているエネルギーはこの男の度外れて烈しい好奇心であるが、この好奇心を裏付けているずっしりとした底意もある。他日、天下をとるときのために中央の形成を見、今後の思考材料にしたいのである。(p.381)

 細川藤孝ら幕臣の立場とちがって、光秀は朝倉家の客分、身は牢人にすぎない。よほどの危険を買って出ねば、将来、将軍の幕下で身をのしあげてゆくことはできない。(p.475)

 男子、志を立てるとき、徒手空拳ほどつらいものはない。(p.493)

 「軍は必ずしも幾戦幾万の兵をもって野戦攻城をするものとはかぎらぬ。匕首(ひしゅ)を飛ばして瞬時に事を決する場合もありうる」(p.513)

信長には稀有な性格がある。人間を機能としてしか見ないことだ。織田軍団を強化し、他国を掠(かす)め、ついには天下をとる、というとぎすました剣の尖(さき)のようにするどいこの「目的」のためにかれは親類縁者、家来のすべてを凝集しようとしていた。
かれら ― といっても、彼等の肉体を凝集しようとしているのではない。
かれらの門地でもない。かれらの血統でもない。かれらの父の名声でもない。信長にとってはそういう「属性」はなんの意味もなかった。
 機能である。(p.520)

能力だけではない。
信長の家来になるに働き者でなければならない。それも尋常一様な働きぶりでは信長はよろこばなかった。身を粉にするような働きぶりを、信長は求めた。
それだけではない。
 可愛げのある働き者を好んだ。能力があっても、謀反気(むほんげ)のつよい理屈屋を信長は好まず、それらの者は織田家の尖鋭きわまりない「目的」に適わぬ者として、追放されたり、ときには殺されたりした。(p.521)

 才能というものは才能をときに嫉(そね)むものだ。(p.528)

 信長は、秀吉の才気よりもむしろ、その陰日向(かげひなた)のない精励ぶりに感心した。(p.530)


()

 信長は待つことも知っている。屈することも知っている。むしろ桶狭間で冒険的成功をおさめた信長は、それに味をしめず、逆に冒険とばくちのひどくきらいな男になったようであった。(p.24)

 屈辱のかぎりをつくしておべっかと媚態外交をする以外にない。むしろ、こっちが手なずけられてしまわなければ危険であった。手なずけるのも手なずけられるのも、要はおなじ結果である。危険は去る。(p.91)

(稲葉山城は)防衛にはいい。
 そのよすぎることが、殻の中にいるさざえのように清新溌剌の気分を失せさせ、心を鈍重にし、気持ちを退嬰(たいえい)させ、天下を取るという気持ちを後退させる。(p.126)

 「士は三日見ざれば刮目(かつもく)して見るべしと古典にもございます。変わることこそ漢(おとこ)たる者の本望でございましょう」(p.138)

 (あの男(信長)は、勝てるまで準備をする)(p.168)
 この人物を動かしているものは、単なる権力慾や領土慾ではなく、中世的な混沌を打通(だつう)してあたらしい統一国家をつくろうとする革命的な欲望であった。(p.192)

 米でしか勘定のできぬ大名とちがい、信長は金銭というものを知っている(p.201)

 英雄には当然ながら器量才幹が要る。それは自分に備わっていると光秀は信じている。しかし器量才幹がだけでは英雄にはならぬものだ。運のよさが必要であった。天運が憑いているかどうか、ということでついにきまるものであると光秀は信じている。(p.211)

 「将軍というものは、よほどの器量人か、よほどの阿呆でなければつとまらぬ職だ。その中間はない」(p.237)

条件が崩れても、すでに行動をおこしてしまった以上、普通は未練がのこるものだ。げんに勝ち戦である。(中略)
が、信長は勝負をやめた。
 とっさに逃げたのである。(p.330)

 信長は、わが身の過ぎにし事をふりかえってあれこれと物語る趣味は皆無であった。つねにこの男は、次におこるべき事象に夢中になっている。(p.370)

 そんな解説をきかされなくとも信長は百もわかっている。どうする、という結論だけ聞けば信長にとって十分だった。(p.387)

 戦とはつねに絹糸一筋をもって石をぶらさげているようなものだ。風で石が動くたびに絹糸は切れそうになる。当然である。(中略)戦とはその切れるか切れぬかの際どい切所でどれだけの仕事をするかにかっかっている。(p.392)

この状態の戦況にあっては、総帥自身が、
 敗けた。
 と思った瞬間から敗北がはじまることを信長は知っている。信長は思うまいとした。(p.403)

 信長は徹頭徹尾、人間を機能的に見ようとしている男で、その信長の思想こそこんにちの日本一の織田軍団をつくりあげているといっていいであろう。(p.437)

 (愚策であろうが下策であろうが、とにかく打てるかぎりの手を、休みなく隙間なく打とうとしている)(p.447

 「木は木、かねはかねじゃ。木や金属でつくったものを仏なりと世をうそぶきだましたやつがまず第一の悪人よ。つぎにその仏をかつぎまわって世々の天子以下をだましつづけてきたやつらが第二の悪人じゃ」(p.465

 急がねばならぬのは、主人の信長がつねに速度を愛する男だったからである。(p.473

 勇者の声望があれば今後政戦ともに仕事がしやすいが、臆病といわれればいかに智略をもっていても人は軽侮し、その智略を施すことさえできない。(p.495)

 食録とは所詮は餌にすぎぬ。食録を得んとして汲々(きゅうきゅう)たる者は鳥獣とかわらない。世間の多くは鳥獣である。おだけの十八将のほとんどもそうである。ただし自分のみはちがう。英雄とはわが食録を思わず、天下を思うものをいうのだ、と光秀は言いつづけた。(p.550)

 何事も自分で手をくだすというのは信長の性格でもあろう。しかしそれだけではない。織田家で体力智力とももっともすぐれた者は信長自身であった。(p.554)

 「お前は吝嗇(りんしょく)なために古い家来に加増もしてやらぬ。そのため人もあつまって来ない。人数もそろい、有能な家来を多く持っておれば、少々お前が無能でもこれほどの落度もあるまいのに、貯えこむばかりが能なために天下の面目を失うた。」(p.588)

 この紹巴に自分の内心をうちあけることによって自分自身を決心へ踏みきりたかったのである。(p.644)

 「男子の行動は明快であらねばなりませぬ。左様に遅疑(ちぎ)し逡巡し、かつ小刀細工を用いて人目を小ぎたなくお飾りなさるよりも、いさぎよく天下をお取りあそばせ。(中略)御思案のあいだならば、左右前後のことをお考えあそばすのは当然なれど、いったんお覚悟あそばれたる以上、物にお怯えなさるべきではござりませぬ。」(p.658

 信長のふしぎは、これほどひんぱんに京にくるくせに、京に城館をつくらぬことであった。(中略)信長の経済感覚が、そうさせているようにおもわれる。建物は建造費もさることながら維持費が大きい。いささかの金でも天下経略のためにつかおうというこの合理主義者にとっては、無用の費えであった。(p.667)

 時勢の人気に投じ、あたらしい時代をひらく人格の機微は、人々の心をおのずと明るくする陽気というものであろう。(p.690)

光秀の計算では、計算として精緻(せいち)なつもりであった。しかしあくまで計算は現実ではない。計算は計算にすぎなかった。
(そういうことらしい。最初から、間違いのうえに立って算用を立てた。あやまりは根本にある)
 光秀はうすうす気づいていた。計算の根本にある自分についてである。どうやら新時代の主人になるにはむいていないようであった。(p.699)

「おれは天下をとるのだ。天下をとるには善い響きをもつ人気がいる。人気を得るにはずいぶん無駄が必要よ。無駄を平然としてやれる人間でなければ天下がとれるものか」(p.716)

 

20111202

本の記録 / 国盗り物語(前半)



国盗り物語(前半) 司馬遼太郎  新潮文庫

半月ほど前この文庫本を持って岐阜に帰省しました。
斎藤道三、織田信長、明智光秀の縁ある3人にスポットを当てた小説。

前半は岐阜を舞台にした斎藤道三が中心です。

小さい頃この戦国期が一番好きでした。
ただ斎藤道三や明智光秀の心情の機微がこれほどまでに描かれたものを読んだことがありません。もっと深く物事を掘り下げていきたい。

交通の重要な要所であったこと、肥沃な大地、史跡。
岐阜は訪れる価値のある素敵な街であると、最近ようやく気付いて来ました。

いつの日か岐阜に恩返しをしたいと思います。


===


〈一〉
「草の種ならば、種によって菊にもなれば、雑草にもなる。が、人間はひとつの種だ。望んで望めぬことはあるまい。」(p.10)

(大慾の前には、小慾は殺すべし)(p.50)

 西洋軍人のことばだが、「歴史は、軍人どもが戦術を転換したがらないことを示している」(中略)「しかしながら」と、この言葉はつづく。「と同時に、歴史は、戦術転換を断行した軍人が必ず勝つことを示している」(p.80)

下心がある。奈良屋をのっとたあと、その巨富を持って、どこかの国をねらって大名になるということだ。
それには条件がある。
国の守護大名、豪族などの家紋がみだれ、仲間で相争っているという国がいい。
 そのうえ、英雄の人物がおらぬ、ということ。(p.88)

(人間を見た上で、家来にしてみよう)
 というのが、庄九郎の魂胆である。性情の忠実な、しかも一技一芸にすぐれた者を抱えるというのが武将の心得であるべきだ。(p.140)

 性根ただの勝負だ。勝負に固執しすぎる男は、集団のなかでは生きがたい。(p.141)

「いや、わしは浮世に絵をかくのだ。絹の上に絵などをかいているひまがない。」(p.276)

人の世は、あすがわからない。
というが、こういう、わけのわかったようなわからぬような、その実、生きるためになんの足しにもならない詠嘆思想は、松波庄九郎にはない。
(あす、何が来るか、ということは理詰めで考え抜けばわかることだ)(p.289)

「おれは夢想家ではない。夢想家というのは、いつも縁側にいる。縁側で空をながめている。空から黄金でも降ってくるのではないかと思っている。場合によっては、空に賽銭を投げる。神仏に祈るというやつだ。」(p.341)

兵に正あり奇あり。
庄九郎は奇を用いたにすぎない。(p.379)

庄九郎は、人間に運命があるとは思っていない。シナ渡来の甘い運命哲学などは弱者の自己弁護と慰安のためにあるものだと信じている。
 庄九郎は運命を創らねばならぬ側の人間だ。シナ人のいう運命などがもしあるとすれば、徒手空拳のこの庄九郎などは死ぬまでただの庄九郎でおわらざるをえないではないか。(p.419)


〈二〉
 庄九郎は、目標を二つ樹て、すべての勢力と知恵と行動を、それに集中した。(p.9)

 男子の鉄腸を溶かすのは女色しかない。(p.78)

 見えざる人の悪罵をあれこれと気にやむような男なら、行動が萎える。とても庄九郎のような野太い行動はできない。この男の考え方、行動が竹でいえば孟宗竹のようにいかにもふとぶとしいのは、心の耳の具合が鈍感になっているからであろう。革命家という、旧秩序の否定者は、大なり小なり、こういう性格の男らしい。(p.180)

 将になるほどの者は、心得があるとすれば信の一字だけだ。(p.200)

「世に大望を持つ者が、足もとの利をむさぼると思うか」(p.225)

 天文、天象を判断して的中せしめ、それをもって行動を起こすものを英雄というのだ。(p.226)

― 要は力だ
 かねがねおもっている。庄九郎は徹頭徹尾力の信者であった。(p.274)

世間を相手に大芝居を打つほどの男は、なまなかな俳優(わざおぎ)の足もとにもよれぬほどの演技力があるのであろう。(p.303)

 敵地での合戦は速戦即決がよく、長陣になると不利であることを知っている。(p.363)

― 人間とは、
と庄九郎とほぼ同時代のヨーロッパに戦国時代に出た策略家ニコロ・マキャヴェリは、五箇条を持って定義している。
一、恩を忘れやすく
二、移り気で
三、偽善的であり
四、危険に関しては臆病で
五、利にのぞんでは、貪欲である
(中略)
だから、第五条の利を与えるために、今日の山崎屋の巨富をどんどん美濃へ運びこんで懐柔し、かつ、第五条の臆病という人間性に対しては、
「従わねば、敵として討つ」
というおどしをもってむかった。(p.382)

マキャヴェリはいう。
 ― 君主というのものは、愛せらるべきか、怖れらるべきか。これは興味のある命題である。常識的に考えれば両方兼ねるがよいということになろうが、その域に達するのは困難なことだ。だから君主にしてそのどちらか一つを選べということになれば、愛せられるよりもむしろ怖れられるほうがよく、またそのほうが安全である。(p.383)

人間は、つねに名分がほしい。行動の裏付けになる「正義」がほしいのである。(中略)
庄九郎はこの合戦を、
「謀反人討伐の義戦である」
 との護符をばらまいた。人間に偽善性に訴えた。(p.383)

「城というものは、城兵が結束さえしておれば、たとえ土掻きあげた土塁一重、堀一重の城でもたやすくは陥ちぬものでござる。ところが、内部の結束を崩せば、城などは雪のように融けてしまう」(p.393)

 韓非子には、『人の君主たる者は、家来に物の好きこのみを見せてはならぬ」というくだりがある。家来がすぐにそれに迎合するからだ。(p.400)