20101222

本の記録 / 峠(中)

鈍行で長岡から東京に戻ってきた。
山に囲まれているのがよくわかる。
この山々という都市と地方を結ぶ隔たりが継之助の考え方を形成した。

峠(中)  司馬遼太郎  新潮文庫

p9 殿様という暮しのなかからは英明練達の政治家はうまれない、というのである。
 「されば、賢臣登用し、登用した以上はいかなることがあってもその者を御信用しきるというのが明君の道でございます。」

p20 「あいつは私情も私心も捨てているだけでなく、命もすててかかっている。そういう男に、文句のつけようがない。」

p23  「おれの日々の目的は、日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている。死を飾り、市を意義あらしめようとする人間は虚栄の徒であり、いざとなれば死ねぬ。人間は朝に夕に犬死の覚悟をあらたにしつつ、生きる意義のみを考えるものがえらい。」

p33 まず肝をうばってから道理を説き、ふたたび相手が首をもたげると別の手でいま一度肝をうばい、最後に酒宴でうちとけさせてしまうというのが、継之助の手であるらしい。

p40 (ばくちについて)これほど人間の精魂をすりへらし、人間の活動をにぶらせ、社会を腐らすものはないというのである。

p64 継之助のやり方であった。ある禁止令を出すとき、まずうわさを流してしまう。そのうわさだけでひとびとは心の準備が出来、該当者も法令の出る前に身辺をきれいにしておくことができる。

p69 李定公の文章にも、「理にあわぬ禁令が出ると、ずるいやつが得をする。政治が社会を毒するのはそういう場合だ」と書いてある

p124 元来、武士というものは理も非もない存在である。理も非もなく武士としての美しさをまもるのが武士だ。

p126 (なぎ)()ほどの教養人でも理屈だけでは動かぬものらしい。人間を動かすものは感情であり、よりそれを濃厚にいえば「情念」なのであろう。

p147 「いずれにせよ私は、ヨーロッパでは容れられる余地のない自分の情熱を、この極東の日本にそそぎ入れたいのです。それによって自分の人生を意義づけたい。このスネルがなぜうまれてきたかという意味を、この日本で見出したい。欲得ではない。」

p158 「その才能を持ってうまれたがために生涯休息がない。そういう意味です。汝ニ休息ナシ」

p176 みな、さまざまな意見をいったが、継之助は最後までだまっている。どうせ自分が舵をとらねばならぬ以上、人より早くしゃべりだす必要はない。

p178 「わけもわからずにじたばたしても、子供が棒をあげて蛇を追っているようでは仕様があるまい」
   「いい度胸だ。普通なら方角もわからずに駆けだしたくなる」

p207 (なにごとかをするということは、結局なにかに害をあたえるということだ)と、継之助は考えている。何者かに害をあたえる勇気のない者に善事ができるはずがない、と継之助は考えている。

p560 この男にとってなによりもきらいなものは涙であった。涙という、どちらかといえば自己の感情に甘ったれたもので難事が解決できたことは古来ない、というのが継之助の考え方であった。

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