20110620

本の記録 / 世に棲む日日

今回は記録のみ。自分の過去のデータの復習です。

世に棲む日日 司馬遼太郎  文春文庫


(一)
p20 「侍は作るものだ。生まれるものではない。」

p36 「大事には」松蔭は言う。「大人物を用いよ。小事には小人物を当てよ。それが適材適所というものである。」

p117 大いなる義とは、仲間との約束を守るということであろう。たかがしれた約束ではないかとあるいは人は言うであろう。しかし松蔭というこの純粋思考の徒にすれば、その程度の約束すら守れず、その程度の義さえ行えない人間になにができるかと、深刻に考えている。

p157 お前の志は、どうやら遠大らしい。今大きな志の前で小さな過ちを犯したが、これはまあ過ぎたことだ。将来の志のために使え。

p223 浪人ではないか。藩から逐放されているくせになおも先代の藩主の忌日をおぼえていて、その日の精進をこの若者は守ろうとしている。「物事の大事というのは、ああいう男でないとできないものだ。」

p247 要するに、この時期の松蔭は気づかなかったが、専門家ではなく総合者であるようであった。そのするどい総合感覚からあらゆる知識を組織し、そこから法則、原理、もしくは思想、あるいは自分の行動基準を引き出そうとしていた。

p258 物事の理論を申してもつい空理空論になりやすい。それよりも実際にあったことをのべるほうが、自分の思想を語るのに語りやすい、ということであります。


(二)
p117 自分はかつて同志の中で、若くて多才なものを人選したことがある。久坂玄瑞をもって第一流とした。その次に、高杉がやってきた。高杉は知識の豊富な士である。しかし学問は十分ではなく、その議論も主観的にすぎ、我意が強すぎた。だから自分はことさらに久坂をほめちぎることによって高杉の競争心をあおり、学問させようとした。」

p148 革命の初動期は詩人的な預言者があらわれ、「偏癖」の言動を持って世からおいつめられ、必ず非業に死ぬ。松蔭がそれにあたるであろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世を作り、大いに絵遺脱するのが処理家たちの仕事である。伊藤博文がそれにあたる。

p240 坂本(竜馬)は時勢の魔術性というものをどうやら天性しっていたらしく、時勢の紛糾がぎりぎりの袋小路に入り込むまでこの意見(航海遠略策)を露にはしなかった。それ以前にこの「正論」を露にしておれば、彼は自分同士である攘夷家に斬られていたであろう。

p241 正論では革命はおこせない。革命をおこすものは僻論である。


(三)
p12  井上はあとを追った、金をつくるにはここまで執拗でなければならなかった

p79 すべてをうしなったとき、初めて藩主以下のひとびとは狂人としての晋作の意見に耳をかたむけ、それに縋ろうとするにちがいない。(事というのはそこではじめて成せる。それまで待たねばならぬ)と、晋作はおもっている。それまでは、敗戦の連続になるに違いない。そういう敗軍のときに出れば、敗戦の責めを引っかぶる役になり、ひとびとは晋作を救世主とはおもわなくなるだろう。ひとに救世主と思わさなければなにごともできないことを、晋作はよく知っていた。

p96 「なるほど」と、白石正一郎は、晋作の話が終わるたびに、すこし目を細め、温和な顔を点とうなずかせるのである。

p124 晋作はかねて、影響力のない人間はおおぜいをうごかすことができないとおもっていたのだが、どうやら自分はそうであるらしい。

p126 集団の時代が来た。集団というものの生物的生理が発狂集団へ騰がるとき個々の「狂者」などはいない。今日であるための個人的危険性もなかった。発狂集団の中にいればかえって安全であった。

p174 この時期の彼の行動を跡付けてみると、自己愛というものをまるで持ちわせていないほどに捨て身の行動をした。本来、かれが自己愛から行動を決める人物なら、ロンドンから急ぎ帰国する必要などはなく、留学の機会をそのまま掴んで離さないほうが、身の利益であったであろう。

p205 太平洋戦争のベルは、肉体を持たない煙のような「上司」もしくはその「会議」というものが押したのである。そのベルが押されたために幾百万の日本人が死んだが、しかしそれを押した実質的責任者はどこにもいない。東条英機という当時の首相は、単に「上司」というきわめて中傷的な存在にすぎないのである。

p208 狂人には仲間がいた。仲間がいることによって狂気が相互影響しあい、行動を飛躍させていく。

p269 しかしこの時代の貴族が重要な会談を行う場合、すぐには物を言わない。棋士が駒をいったん置けばはずせないように、この時代、言葉がいったん吐かれれば取り消しがきかなかった。


(四)
p9 武士は料簡がせまい。しかしこのせまさがあってこそ、主に忠義などという、町人が聞けばばかばかしいかも知れぬことで腹も切り、命も捨てられるのだ。

p51 椋梨の行動は、機敏であった。かれはこれまで謹慎を命じてあったかつての尊皇派の旧政府員七人を捕縛し、野山獄舎でいそぎ首を刎ねてしまった。椋梨にすれば、この際幕府の印象をよくしておかねばならない。同時にこの政治犯の断罪によって藩内に淀んでいたあいまいな空気を一掃し、藩士一同の気分を決戦にむかって統一しようとした。

p69 ―自分たちは秩序的にも筋が通っている。ということを、自ら信じたかったし、全軍にそれを信じさせなければ、この長州人は大勇猛心を発揮できないのである。

p78 総司令官とは人格的な威厳を持って衆を率い、衆をしてよろこんで死地に身を投ぜしめるものであり、参謀とは、それに智謀を与える役目であった。

p90 宗教に儀式が必要なように、一つの軍隊での全員に死を覚悟させるためには、儀式が必要であった。(中略)今ここで敗れれば刑死、戦ってもむろん士である。一同、髪を切った。

p97 ところが御堀耕助はそれを怖れた。扇動者であるかれがそのままこの農民軍の大将の座にすわれば、世間の目にはどう見るであろう。脂ぎった野心家のようにもとられそうであり、御堀はそういう生臭さに耐えられない人物であった。

p116 兵は勢いである

p129 「勝利軍は無言なるがよし」(中略)力ある男の無言なる姿ほど、相手に畏怖を与えるものはないということを晋作は知っていた。

p135 この男は行動を欲するがために行動しているのであり、行動の終末がたとえ革命の成功であれ栄達であれ、天性いやなのである。

p138 事をなすべく目標を鋭く持ち。それに向かって生死を誓いつつ突き進んでいるときは、どの人間の姿も美しい。が、ひとたび成功し、集団として目標を失ってしまえば、そのエネルギーは仲間同士の葛藤に向けられる。

p213 「おうの、その荷物をもってこい。」行動に目的を持たせると、人間というものは、他愛のないもので、おうのから恐怖が落ち、いそいそと荷物を抱いて晋作のそばに寄ってきた。

p258 晋作にすれば幕府と対戦する以上、英国の同情を得ておきたい。が、こちらから平身低頭すれば今後の長英関係の悪しき基盤をなしてしまう、むしろここで長州藩の硬骨振りを見せておくほうが、今後の関係がうまくゆくとみていた。

p266 (戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛び出すことだ、思案はそれからでいい



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