20111203

本の記録 / 国盗り物語(後半)



国盗り物語(後半) 司馬遼太郎  新潮文庫

後半は織田信長、明智光秀の物語。
道三の晩年を知り尊敬する二人が、全く異なる性格を持ち、人生を歩んでゆくさま。

両人物からの視点で描かれていて、中立的に物語を読み進めることが出来ました。


〈三〉
― 陰口などはきにするな、そちのことはわしだけが知っている。
 というような眼差しでつねに(父の信秀が)見まもってくれていた。(p.76)

 「よいか、そちはいくさで偵察(ものみ)にゆく、敵の群がっている様子をみて、そちはとんでかえってきて、『敵がおおぜいむらがっておりまする』と報告する。ただおおぜいではわからぬ。そういうときは『侍が何十人、足軽が何百人』という報告をすべきだ。頭一つをみても、ただ『禿でございます』ではわからぬ。おれはそんな不正確なおとこはきらいだ。」(p.90

 万事、執念深いほどにこの男(信長)は実証的だった。
 実証のすえ、蝮の好意を感じた。(p.122

 道三にすれば、人君たる者は怖れられねばならぬ、と思っている。懐(なつ)かれてしかも威があるというのは万将に一人の器で、普通の生まれつきでは期しがたいものだ。それよりも、一言の号令が万雷のように部下に降りおちるという将のほうがこの乱世では実用的である。(p.149

「いくさは利害でやるものぞ。さればかならず勝つという見込みがなければいくさを起こしてはならぬ。その心掛けがなければ天下は取れぬ。信長生涯の心得としてよくよく伝えておけ」(p.208

 なまじい、援軍うんぬんを言えば、せっかくのその気組がくずれ、かえって依頼心が生じ、士気が落ち、この正念場をしくじるかもしれない。(p.239

 「私語をするな、隊伍を乱すな、敵味方の強弱を論ずべからず。犯すものを斬る。」(p.321

(京にいる将軍に会いたい)
それが目的の一つ。
(堺で、南蛮の文物を見たい)
それが目的の二つ目である。
 むろんかれを駆り立てているエネルギーはこの男の度外れて烈しい好奇心であるが、この好奇心を裏付けているずっしりとした底意もある。他日、天下をとるときのために中央の形成を見、今後の思考材料にしたいのである。(p.381)

 細川藤孝ら幕臣の立場とちがって、光秀は朝倉家の客分、身は牢人にすぎない。よほどの危険を買って出ねば、将来、将軍の幕下で身をのしあげてゆくことはできない。(p.475)

 男子、志を立てるとき、徒手空拳ほどつらいものはない。(p.493)

 「軍は必ずしも幾戦幾万の兵をもって野戦攻城をするものとはかぎらぬ。匕首(ひしゅ)を飛ばして瞬時に事を決する場合もありうる」(p.513)

信長には稀有な性格がある。人間を機能としてしか見ないことだ。織田軍団を強化し、他国を掠(かす)め、ついには天下をとる、というとぎすました剣の尖(さき)のようにするどいこの「目的」のためにかれは親類縁者、家来のすべてを凝集しようとしていた。
かれら ― といっても、彼等の肉体を凝集しようとしているのではない。
かれらの門地でもない。かれらの血統でもない。かれらの父の名声でもない。信長にとってはそういう「属性」はなんの意味もなかった。
 機能である。(p.520)

能力だけではない。
信長の家来になるに働き者でなければならない。それも尋常一様な働きぶりでは信長はよろこばなかった。身を粉にするような働きぶりを、信長は求めた。
それだけではない。
 可愛げのある働き者を好んだ。能力があっても、謀反気(むほんげ)のつよい理屈屋を信長は好まず、それらの者は織田家の尖鋭きわまりない「目的」に適わぬ者として、追放されたり、ときには殺されたりした。(p.521)

 才能というものは才能をときに嫉(そね)むものだ。(p.528)

 信長は、秀吉の才気よりもむしろ、その陰日向(かげひなた)のない精励ぶりに感心した。(p.530)


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 信長は待つことも知っている。屈することも知っている。むしろ桶狭間で冒険的成功をおさめた信長は、それに味をしめず、逆に冒険とばくちのひどくきらいな男になったようであった。(p.24)

 屈辱のかぎりをつくしておべっかと媚態外交をする以外にない。むしろ、こっちが手なずけられてしまわなければ危険であった。手なずけるのも手なずけられるのも、要はおなじ結果である。危険は去る。(p.91)

(稲葉山城は)防衛にはいい。
 そのよすぎることが、殻の中にいるさざえのように清新溌剌の気分を失せさせ、心を鈍重にし、気持ちを退嬰(たいえい)させ、天下を取るという気持ちを後退させる。(p.126)

 「士は三日見ざれば刮目(かつもく)して見るべしと古典にもございます。変わることこそ漢(おとこ)たる者の本望でございましょう」(p.138)

 (あの男(信長)は、勝てるまで準備をする)(p.168)
 この人物を動かしているものは、単なる権力慾や領土慾ではなく、中世的な混沌を打通(だつう)してあたらしい統一国家をつくろうとする革命的な欲望であった。(p.192)

 米でしか勘定のできぬ大名とちがい、信長は金銭というものを知っている(p.201)

 英雄には当然ながら器量才幹が要る。それは自分に備わっていると光秀は信じている。しかし器量才幹がだけでは英雄にはならぬものだ。運のよさが必要であった。天運が憑いているかどうか、ということでついにきまるものであると光秀は信じている。(p.211)

 「将軍というものは、よほどの器量人か、よほどの阿呆でなければつとまらぬ職だ。その中間はない」(p.237)

条件が崩れても、すでに行動をおこしてしまった以上、普通は未練がのこるものだ。げんに勝ち戦である。(中略)
が、信長は勝負をやめた。
 とっさに逃げたのである。(p.330)

 信長は、わが身の過ぎにし事をふりかえってあれこれと物語る趣味は皆無であった。つねにこの男は、次におこるべき事象に夢中になっている。(p.370)

 そんな解説をきかされなくとも信長は百もわかっている。どうする、という結論だけ聞けば信長にとって十分だった。(p.387)

 戦とはつねに絹糸一筋をもって石をぶらさげているようなものだ。風で石が動くたびに絹糸は切れそうになる。当然である。(中略)戦とはその切れるか切れぬかの際どい切所でどれだけの仕事をするかにかっかっている。(p.392)

この状態の戦況にあっては、総帥自身が、
 敗けた。
 と思った瞬間から敗北がはじまることを信長は知っている。信長は思うまいとした。(p.403)

 信長は徹頭徹尾、人間を機能的に見ようとしている男で、その信長の思想こそこんにちの日本一の織田軍団をつくりあげているといっていいであろう。(p.437)

 (愚策であろうが下策であろうが、とにかく打てるかぎりの手を、休みなく隙間なく打とうとしている)(p.447

 「木は木、かねはかねじゃ。木や金属でつくったものを仏なりと世をうそぶきだましたやつがまず第一の悪人よ。つぎにその仏をかつぎまわって世々の天子以下をだましつづけてきたやつらが第二の悪人じゃ」(p.465

 急がねばならぬのは、主人の信長がつねに速度を愛する男だったからである。(p.473

 勇者の声望があれば今後政戦ともに仕事がしやすいが、臆病といわれればいかに智略をもっていても人は軽侮し、その智略を施すことさえできない。(p.495)

 食録とは所詮は餌にすぎぬ。食録を得んとして汲々(きゅうきゅう)たる者は鳥獣とかわらない。世間の多くは鳥獣である。おだけの十八将のほとんどもそうである。ただし自分のみはちがう。英雄とはわが食録を思わず、天下を思うものをいうのだ、と光秀は言いつづけた。(p.550)

 何事も自分で手をくだすというのは信長の性格でもあろう。しかしそれだけではない。織田家で体力智力とももっともすぐれた者は信長自身であった。(p.554)

 「お前は吝嗇(りんしょく)なために古い家来に加増もしてやらぬ。そのため人もあつまって来ない。人数もそろい、有能な家来を多く持っておれば、少々お前が無能でもこれほどの落度もあるまいのに、貯えこむばかりが能なために天下の面目を失うた。」(p.588)

 この紹巴に自分の内心をうちあけることによって自分自身を決心へ踏みきりたかったのである。(p.644)

 「男子の行動は明快であらねばなりませぬ。左様に遅疑(ちぎ)し逡巡し、かつ小刀細工を用いて人目を小ぎたなくお飾りなさるよりも、いさぎよく天下をお取りあそばせ。(中略)御思案のあいだならば、左右前後のことをお考えあそばすのは当然なれど、いったんお覚悟あそばれたる以上、物にお怯えなさるべきではござりませぬ。」(p.658

 信長のふしぎは、これほどひんぱんに京にくるくせに、京に城館をつくらぬことであった。(中略)信長の経済感覚が、そうさせているようにおもわれる。建物は建造費もさることながら維持費が大きい。いささかの金でも天下経略のためにつかおうというこの合理主義者にとっては、無用の費えであった。(p.667)

 時勢の人気に投じ、あたらしい時代をひらく人格の機微は、人々の心をおのずと明るくする陽気というものであろう。(p.690)

光秀の計算では、計算として精緻(せいち)なつもりであった。しかしあくまで計算は現実ではない。計算は計算にすぎなかった。
(そういうことらしい。最初から、間違いのうえに立って算用を立てた。あやまりは根本にある)
 光秀はうすうす気づいていた。計算の根本にある自分についてである。どうやら新時代の主人になるにはむいていないようであった。(p.699)

「おれは天下をとるのだ。天下をとるには善い響きをもつ人気がいる。人気を得るにはずいぶん無駄が必要よ。無駄を平然としてやれる人間でなければ天下がとれるものか」(p.716)

 

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