20111217

本の記録 / 豊臣家の人々・王城の護衛者

 司馬遼太郎の短篇集2冊。

 「豊臣家の人々」は、秀吉の親族の話。
 「王城の護衛者」は、松平容保、岩倉具視、大村益次郎、河井継之助、岡田以蔵といった、どの人物も「個」も特徴のある人物で、後に何人かが長編でも取り上げられています。


 歴史は面白い。人物が面白い。その中でも、特徴のある男が活躍する、戦国期、幕末期が群を抜いて好きだ。

豊臣家の人々  司馬遼太郎  角川文庫


成政ですら殺さなかったという評判は大いに天下をかけめぐり、それを伝えきいた諸国の対抗者たちはわが城をひらき、弓を地になげすててつぎつぎに服従してくるであろう。そのことの効果を秀吉は期待した。(p.167)

なるほど、そういえば藤吉郎は非力なうえに小男であり、槍も巧みそうではない。藤吉郎がいうのに、大将に必要なのは智恵であり、侍に必要なのは糞まじめさである。退くなといわれれば骨が鳴るほどに慄(ふる)えていても退かぬというのがよき侍であり、いかに膂力(りょりょく)があり平素大言壮語していても合戦の正念場で崩れたつような男では侍ではない。(p.224)

兵法の極意はついにわが身を韜晦(とうかい)することにある (p.237)

「言うな」
 家康は不機嫌な表情でいった。そのような感情論を百夜きいたところで何になるであろう。(p.288)

あのような気勢者(けおいもの)の若者に対しては、物の言いかたがある。(p.338)

新しい時代を切り拓く力と、そこで得た権威・権力を保つ力とは、おのずから異なるものである。(p.517)



王城の護衛者  司馬遼太郎  講談社文庫


(苦手なことはやってはならぬ)
とかれ(松平容保)はおもっていた。(p.41)

策士は内に真を蔵しつつ、情勢に応じて変幻自在の策を用いまするゆえ、時あっては心ならずもの手をうつこともありましょう。(p.149)

私(村田蔵六)の兵学で士というのは。諸藩で高禄を食(は)む者のことではない。士の武器は刀槍ではなく重兵(兵卒)の隊であり、士の技能は何流の剣術ではなく、重兵を自在に指揮する能力である。武士、武士といって威張っている者に、国家の安危は託せられない」(p.226)

「しかし人間、ふた通りの生きかたはできぬものだ。おれ(河井継之助)はおれの算段どおりに生きねばならん」(p.298)

英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがある。(p.333)

 「以蔵、それはちがう」
と、片言隻句までいちいち訂正した。いや西郷と武市の、親分としての資質の致命的なちがいは、ユーモアの感覚の有無であったろうか。(p.365)

「天誅とはいえ、主君の御名前が出るのは、たとえ舌を噛みきっても出してはならぬところだ。そちは大声で藩名を呼ばわった。いったい、どういう料簡でいるのか。それでも柏章旗(土佐藩の藩章)下の士か。いやさ、それほどの不用意で、国事を為せると思うのか。王事につくす志といえるのか」(.382)


  

0 件のコメント:

コメントを投稿