20110901

本の記録 / ブルーノムナーリ

モノからモノが生まれる  ブルーノ・ムナーリ  みすず書房

絵本「木をかこう」「ABC」などで有名なブルーノ・ムナーリの思考法が書かれた著書です。


絵本だけでなく、教師やプロダクトデザイナーといった側面をもつ著者だからこその緻密な思考でモノを生み出す姿勢について書かれています。(私が知っているイタリア人に、こんな緻密な方はいませんでした。ってイタリア人に怒られそうだけど・・)

また、日本や禅に精通しており、そこで多大な影響を受けたと語っているのを何かで見たことがあります。


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P5  デカルトの方法における4つの規則 

第一に、明らかに真で認められない限り、どんなことも決して真であると受け入れないこと。つまり、きわめて慎重に、早合点や先入観を避けること。あらゆる、疑いを取り除くほどにはっっきりと明瞭に、わたしの知性に示されること以外は、決して判断に含めないこと。

第二に、それぞれの問題を、できるだけ多く、そしてより良い解決に必要とされるだけ、たくさんの小部分に分けること。

第三に、自らの思考を順序良く導くこと。もっとも単純で、もっとも認識しやすいことから始め、少しずつ階段を上るようにし、もっとも複雑な認識にまで上りつめること。そして、そのままではどちらが先にあるのかわからないものの間にも順序を仮定しながら行うこと。

最後に、どんな場合においても、一つ一つ完全に数え挙げ、総合的な見直しを行い、何一つ見落としたものはないと確信すること。


P14 企画を立てるには、規則を尊重せねばならないとなると、自分の想像力が押さえつけられるように感じる人がいる。個性はどこで出せばいいのだろう?彼らは自問する。私たちはみんなバカなのか?ロボットなのか?みんな平均化されているのか、同じになっているのか?と。すると再びゼロから、うまく企画を立てるのに必要な経験をやり直し始める。最初になすべきことと、後になすべきことを理解するのに多大な努力をする。そして、すでに経験から得られた方法に従っておけば起きないような間違いをし、その間違いを訂正するのにふたたび多くの時間を浪費することになる。


P15 企画における一連の作業とは、客観的価値から成り立っており、その客観的価値が、クリエイティヴな企画者の手のなかではじめて有効な手段となるのである。それでは、いったいどのように客観的価値が認められるのだろう?客観的価値とは、すべてにおいてそうだと認められる価値のことだ。


P36 第一に必要なことは、問題そのものを定義することである。「多くのデザイナーは、問題が依頼主によって十分に定義されていると思っている。しかし、大部分が不十分である。」


P40 ひとつひとつ、小さな問題に分解してから(ここでようやく創造力が介入し始め、アイデアを探し出そうとする考えは放棄される)、一貫性を持って再構成する。問題それぞれの機能的特性、問題同士の機能的特性、また、素材、心理的側面、人間工学、経済性、そしてフォルム、というように、それぞれの特性に応じて問題を再構築する。美しさは正しさの結果だと、ある日本の規則が言っている。


P70 ブランドマークのレイアウトでは、マークを5mm以下に縮小しても認識できるかどうかを確認しなければならない。


P100 ある人が、知らないものを見ると、こういう。いいね、とか。あんまりよくないね、と。それでおしまい。またある人は、何と似ているというかもしれない。例えばヴァイオリンの前で、「ローファットのハムみたい。」というかもしれない。モノを、見て、観察して、分析するとは、そういうことではない。前者個人的好みであり、後者は知っているものとの類似を見ているのである。もし、デザイナーが、モノがそうある理由を理解したいと思うなら、可能な限り全ての側面について検証しなければならない。それは、個人的価値に基づく観点からだけではなく、機能性、操作性、色、フォルム、材料といった客観的価値に基づく観点からも検討が必要だということである。そうした事項を、客観的ない順に従い検証し、その結果、正しいか、間違っているかを検討しなければならないのである。


P122 製造され続けているモノを、美しいか醜いか、あるいは好きか嫌いかという観点からだけではなく、あらゆる側面について注意深く観察する習慣がつけば、申し分のない企画の精神が形成される。

P130 単純化とは、あらゆる問題を解決しようとするとき、機能を実現させるのには役に立たないことを除外して考えることである。単純化とは、費用を削減し、作業時間、つまり組み立てや仕上げの時間を短縮するということでもある。単純化は難しい作業であり、豊かな想像力が必要とされる。


P225 そうした(本を読まない)人々は、本には「知」があるということを知らない。本のおかげで、人は物事の知識を増やすことができ、起きる事柄の多くの側面を理解できるということを知らない。本はほかの興味関心を目覚めさせるということを、本はよりよく生きるための糧になることを、知らないのである。


P240 3歳の子供というのは、周囲の環境について、感覚的に経験したことを覚える。「子供の感覚受容体はすべてが同時に開いている。つまり子供は自分の生きる環境について相対的に感受しているのである。


P244 人間の脳みそは、コンピューターのように一生のあいだ記憶し続ける。何歳になろうとも、その時知らないことに直面すれば、それを理解するために既に知っていることと関係づけようとする。その機会を逃さずに、データを的確に記憶できれば、よりいっそう生活しやすくなるし、必要な時に役立つ情報を得ることができる。クリエイティヴな人間とは、豊かな能力を持つ人間のことであり、自身の問題を解くのに多くのエキスパートを必要としない人間のことである。

P316 「重要なのは、物事をそうあるものとしてとらえるだけではなく、こうあり得るかもしれないと考えることである。一般に、ある一つの事柄でも、多くの観点から検討することができ、ときには、わかりやすいとはいえないものの見方が、より有益なものを引き出す。そうあるものとされる事柄にぶつかったとき、他にはどうあり得るだろうかと掘り下げることは、どんな場合にも有効な手段である」(エドワード・デ・ボノ)わたしは、これに次のように付け加えたい。それが何になり得るだろうか、あるいは、それが他には何に役立つだろうか、と検討すること、と。


P377 利用者の感覚、それもすべての感覚を考慮して設計するということである。なぜなら利用者は、ある製品を前にしたとき、あるいは試したとき、すべての感覚で製品を感じ取るからだ。見た目できにいっても、他の感覚で気に入らなければ、製品としては不合格。




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太陽をかこう、木をかこうは子どもができたら見せてあげようと思っています。


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